スポーツに対して物理学を利用する尺度

スポーツに物理学を利用する方法はプロスポーツ選手が利用している内容を本で読んだことがあるのではないでしょうか。

物理学をスポーツに応用するとして、それが流体力学からニュートンの運動力学の把握、コリオリ力を理解するために二次元回転座標系のベクトルなど詳細まで理解するときりがありません。

では、物理学を学ぶ必要があるかどうかという話ですが、プレーヤーがスポーツを上達するために理解する必要はありません。
ただ、利用するのであれば視覚や感覚が必ずしも正しくないということにつなげることに意味があります。

視神経によって人の視覚のズレが補われることから、プレイヤーの感覚も筋力の衰えによって変化することをどのように評価するかという基準が変化したことを受け入れたことにあります。

 

コペルニクスが地動説から天動説への疑問を投げつけることでさえ、アリストテレスが築いた知識の運用が新しい解釈の壁になっています。

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自分が現状持っている感覚や尺度がいかに誤っているのかを体験することになるのは、魔女狩りをした中世よりも、宗教が阻んだ科学への見方の方が理解しやすいかもしれません。

 

 

歴史の話になってきましたので、視点を変更してみましょう。
例えば、漁師が天候と時期、そして温暖化によって把握していた内容を感覚に頼っていたものを調査機器の進歩と魚の生態系を理解することによって生産性をあげたとします。
地動説への変化も、観察へのアプローチの変化と観察する器機の進歩が関与して、宇宙のより明確な内容を知ることができるようになりました。

どちらも、レベルは異なれど、内容は伝えたい話との差異は変わりありません。

 

歴史から学ぶことが様々な問題を防げるのかというとある事象と人の認識構造を抽象化し言葉の利用によって、心理学や行動経済学、生理学など複雑に絡み、時間をかけて対処する必要があります。

そして、これがスポーツにどのように関連しているのかは、自分の感覚と調査している機器の進展による自分の運動をどのようにして理解するかに回帰します。

例えば、投球のポイントでボールのリリースするポイントを理解したとして、それが運動とした時、遠心力によって実際には現実化したいモーションとは違っていることに気がつくことにつなげれます。
ただし、これは見てる人からすると1秒以下の内容となりなかなか気がつくことができません。

 

現状は、物理学の内容をスポーツへ取り入れることはプロの選手ほどとりいれやすい環境になっています。
ただ、実際に必要な選手は、努力していても運動神経は悪くないにもかかわらず、それが結果にならないことを細分化して理解できないプレイヤーです。


コペルニクスなど500年も前のことを今さら引きずり出してそれが今の自分たちのどこに無意識への処理構造として役立っているかはわかりません。

むしろ、当たり前の常識になっていることにこそ、人の進歩が垣間見える瞬間でもあります。

感覚を大切にすることは、人らしさであって逆に全てを定義される物理学を基準に把握するのは人の処理機能から考えると現実的はありません。

良い動画などでうまい選手は伸びていき、それを補えない選手が時間をかければそれを補えるようにできるシステムは理想です。
動作の確認などは、どの段階でどの指導が最適なのかは、個人の動作のクセや認識動作まで加わるため、現状AIでは補えません。
それをおぎなえるようになった時、スポーツの上達は指導者に左右されない最低ラインを保持することができることが考えられますが、それは手塚治虫さんが書いたアトムの世界同様まだ先の話でしょう。

 

 

それでも、地動説が一般的だった世界から現状の世界への進展への比較からすると、それほど幻想な世界ともいうほど離れていないでしょう。
それは、スポーツを考える道具として利用できる一歩と呼べるのかもしれません。

アリストテレスからガリレオニュートン、そしてアインシュタイン相対性理論へと繋がり、その理論の応用がインターネットやGPSに利用されているのが現在です。
完璧なAIによって人が虐げられるSFの世界があります。
知識の継承でできた人の感情を理解できるのが完璧のAIとすれば人を支配するAIはそもそも完璧に見えないのではないのかということも含め、AIの解釈もスポーツの解釈も未来では変化しているでしょう。

物理学をどのように利用するのかと同時にこれは自分が見てる視点をどのように変化するのか、でもあります。
だからこそ、「スポーツで利用する時に物理学を利用せよ」ではなくプレーの向上における選択肢の1つとして捉えることを今回の内容は示しています。

高校や中学の時に知った歴史上の人物は、歴史上の人物としてよりも今も知識として私たちやスポーツを含めて関係していることが価値見出しているのかもしれません。