新しいトレーニングについての議論の根底あるもの

どんなものにも役立つかどうかという疑問はつきものです。
レーニング方法にも新しい科学的な部分で変化することがあります。

これには文化的な基準と物理的な影響などがあり把握できます。
文化的な基準は、野球で言えば投げ込みにおける感覚との再現確率の向上と自信におけるメンタルの強化などが当たります。
物理的な側面は、映像からの確認と数値化などが挙げられます。

これらを簡単に言えば採用基準を自分で検証することに対しての価値観です。


[役立つ]に関しては、学習内容ついても議論になっています。
家庭科での裁縫を今も必要かどうかというのは議論されていた記憶があります。
しかし、これは役立つものに対しての変更するプロセスが確立されていないという問題があります。

公共教育などに対して評価基準のプロセスを見直す基準の設定が困難ということにあります。
過去への内容は、組織の行動のプロセスの変換自体が戦争や革命などがあったことによりますが、70年以上も同じスパンで利用していた場合、明確に何かしらのフィードバックする基準が必要です。
他の国の競争相手が存在していない江戸幕府などのような状態であれば別かもしれません。

情報の授業などの追加など変更はされていますが、大学などの小規模組織へのアプローチなどから全体に反映されるプロセスはあまり議論されていません。
スポーツなどから得られる情報をどのように得られるかという観点からも、この部分は無視できないでしょう。

学習内容における優先順位基準そのものを把握していたことがないもしくは、それをどのような妥当性を保持させるかのデータがないという問題が難関かなと考えます。

「役立てる」という言葉は、意外に問題であり、意識次第でどの科目も役立たせることができます。
技術の授業にしても、体育のスポーツから5教科でさえ同じように言えるでしょう。

では、意識で「役立つ」を決めることができるのであればトレーニングにしてもあまり意味がないのではないかという疑問になります。
ただ、意識して学習するプロセスを他のものへ応用することにはそれなりの時間と訓練が必要です。


例えば、以下2点を考慮してみましょう。

スポーツで改善行動をしたとして、それをビジネスで運用するという内容をプロセス化する。
セブンイレブンでの商品開発の食感を数値化することや開発流通における温度設定などの管理プロセスによる改善行動を、木材提供などへの改善行動へプロセス化として利用する。

(必要かどうかは別です。)

 

抽象化した物事のプロセス化を応用しているという点では同じです。
ただ、人の心理学や行動経済学などを含めてスキーマの処理などを含めるとこの作業が通常の人が行うのは非現実的なケースもあります。


この内容が何かというと、
プロセス化において実学として社会で利用すること考慮した場合、どの学習内容でも個人の訓練次第でどれも「役立たせる」ことは可能です。
意識することの内容次第というのは誰もがいうことですが、「必要な学習」という内容も戦後に形成された内容と現状では、異なります。

私自身が保守的な部分もあり、すでに利用している指導方法を無理に変更していくことを受け入れがたいことも把握しています。
そのため、変化することに対して問題がないので変化しないのではなく、ある新しいカテゴリが発生した場合における優先順位を変更するプロセスが稼働するプロジェクトが必要になるのではないかと考えています。


これにはさらに一つのフローが必要で、自身の所持する感情と起きた出来事に対して区別して選択を行う訓練が必要になります。
スポーツやビジネス、個人の健康を維持する行動を良い方法があれば選択するというのは現実的でしょうか。

何が言いたいのかというと、良い方法を選択するには限定された条件が必要で、常に人は平均的で合理的な人ではないということです。
ケースによっては、常に努力をしている選手が監督の好みによって試合に出ていないこともある意味自然です。(プレーのセンスから親の関係など様々です。)
健康に悪いと知っていても日々のストレスで喫煙することの方が現実的な人です。


役立つかという議論が必要なのは把握していても、実際に行動に落とすことについては時間が必要です。
それを「才能がない」という形容の仕方で時には諦めることも必要ですが、私たちは常に良い選択ができるとは限りません。

言い換えると、
私たちの「合理性」は現在のコンピューターのように行動するかどうかの選択基準ではないのです。

そして、話を戻すとスポーツのトレーニングの選択基準の採用に効率性を持たせるのであれば、検証と採用のプロセスにおいて決定者のプロセスパタンから考える必要があります。

 

スポーツのトレーニングにしても、公共機関の学習内容も、
安定を求めることと、向上のために変化する基準を数値と感情として受け入れやすさから考慮した体験が子供の時に設計されるデータと妥当な基準を求めて、ようやくスタート地点となるのかもしれません。