成功率を高めることと目的への注意動作の設計

目的を意識的にもつことは重要という話を聞いたことがあるかもしれません。

進学、就職、業務、社会構成、地域におけるコミュニティ、目的における生産性の高さと意味付けによって
自分の生産性を高めることに役立つことは、その言葉の利用頻度のために無意識にさえ把握しているほどです。

 

例えば、英語を学ぶために海外に行くという目標があったとします。
英語を学ぶことだけで言えば、日本でも可能です。

滞在期間が短いのであれば、英語を無理やり利用する期間も短いので日本で外国人の英会話講師と交流をする金額とどれほど違いがあるのか検討が必要がかもしれません。

これは海外へ留学することが悪いという内容ではありません。
では私はなぜこんなにも否定的に考えるのでしょうか。

英語を学ぶ目的ということの前提は、英語を手段としていないということです。
英語を学ぶ目的の上の目標が、交渉や海外の人の価値観を把握して日本とビジネスに利用することなどであれば、言葉の概念から、イントネーションに関する解釈の把握、マインドなどの内容を把握して、それを利用する体験によって海外で学ぶ価値が発生します。
英語のみを利用する環境で英語を学ぶことに価値があれば、それは留学する価値がありそうです。

目的という言葉の概念をどのように定義づけるのかということは、フィードバックの材料にもなるため、
自分の優先度が高い目標であれば利用することが好ましいでしょう。

これは、普段の会話でも同じことが言えるでしょう。
では、この目的に関して詳細度を高めることに関与している内容は、どのようなことでしょうか。


それは普段の会話です。

 

 

例えば、バスケットでオフェンスをしているポイントガードがノールックパスをした内容に関して以下の言葉のやりとりがあったとします。

「あのパスがあったから、得点につながった」
「ノールックパスの前に選手が目と体でフェイクを入れて、他の1人の選手がフェイクになってそれで得点した選手がフリーになった。」

普段の練習で、どのように選手を把握しているかをコート上にイメージングして、それをどのようにプレーに利用するのかという発想へ思考がリンクしやくなることでしょう。
そしてこれがフィードバックへ繋がりやすくなります。

もちろん、無意識によってこれらができれば問題はありません。
私としても無駄なので、できれば言語化はせずに目標が達成できれば良いと考えます。

しかし、人はそこまで言語理解に長けているわけではありません。
私は中学時代に軟式野球をしていて50人という多い方の部でしたが、
レギュラーになっている人とそうでない人は、わずかな差でしかありませんでした。
バットのスウィング軌道が10cm前後の違いであったり、守備の動き出しの腰の位置の高さが異なっていただけです。

その習慣化の違いによってその後レギュラーで、自信がつき経験などでも差が出ていきました。

 


しかし、すべての目標において詳細度を考えることは現実的はありません。
私も無意識における処理の自動化を利用していくことの方が生きていく上で感情的な負荷が少ないと考えています。

それでも、僅かな差でスポーツを楽しめるのかどうかの差がでるのであれば目的の詳細度を今一度考える必要があるのかもしれません。