メリットとなる前提は目的で変化する

仕事にしてもスポーツにしても自分自身が動作していることに関しては、
接続する知識とイメージング、目的を達成する時間と達成した内容の精密度が上がります。
これは、目的として意識することが何かが明確な場合であって、それがこなすことであれば役立たない練習にさえなります。

 

これはものすごく当たり前のことを言っているように見えます。
スポーツを長く継続していれば、専門種目として上達することはある程度予測することができます。
これを抽象化して考慮してみましょう。

仕事として、陶器職人で器を作成することを目標とする高校生がいたとします。
理科の実験おける熱の伝達に関して、陶器を焼くことへつなげるイメージを持ちやすくなるでしょう。
物体における熱の伝達について把握した場合に、どのように陶器を焼く気候と季節で左右されるかを把握して火の温度を調節するのかという処理する確率は高くなります。

現状では、役立たないものを日々の生活に役立てることができはしますが、それは日々をどのように過ごすかで変化するのです。

数学は役に立たないという意見があります。
Σや三角関数微分積分を普段の生活でどこで使うのかということはすごく難しいことです。
しかし、簡単な因数分解などにおいてはスポーツへ思考として利用することができるのです。

野球でバッティングをするとして、処理モデルへ利用します。

数学では因数分解により
AX+BX+CX=X(A+B+C)
という式が成り立ちます。

 

では野球で考えてみます。

例えばバッティングにおいて、練習A(タイミング),練習B(スウィングの強化),練習C(実戦と練習での実行との差異)があります。
それぞれ目的がありますが、バッテイングの基本動作があり成り立ちます。
バッテイングの基本動作をXとしてA・B・Cの目的がくくられます。
練習の説明をする時に、共通の前提を説明することであとは説明を省くことができます。
チームで強化して変えてはならない部分(バントの構えなど)とプレイヤー個人が自由にできる部分でもこの思考レベルの差は存在しています。

 

これまでのことからするとただこなすのであれば役だたないということになります。
漠然と学歴のために勉強をこなすだけの作業を行うという意識をしているのであれば役立たなくなるのは当然かもしれません。

 

もちろん役立たないという部分も必ず存在します。

役立たない主張において感情でそれを役立たないということがストレスの発散で調和が取れるのであれば問題はないと考えます。
(ただし他者に危害が加わるのであれば配慮が必要。)

しかし、それが意識付いて役立たないというものだけを探す習慣になるのことは問題でバランスをとる必要があります。
重要なのは、目的から優先順位と必要性の基準を明確にして判断し、それを実行していくことかもしれません。

スポーツでの処理機能を練習で鍛錬することで形成し、無意識で実行していくことが目的であるならば逆に意識から無意識にする部分を把握しておくことが必要でしょう。
習慣と意識によって自分自身の処理能力が変化していきます。
自身の無意識は思った以上に意識を凌駕する時があります。

努力によって才能を凌駕する物語は、希望を抱くことができ、人の生き方を魅力的にします。
しかしながら現実は、いかに目的のために意識づけすることが重要だと把握していてもこなすだけの練習になりがちです。
それに対して微弱ながら、記録し未来へ託すことがわずかに見えることでも大きな発展と捉えることができます。


もちろん楽しむことが目的であれば、これまでの内容は必要ありません。
どんなことにもデメリットメリットがあるように改善にすらタイミングよってはデメリットになりえます。
一度解決した問題に対して再度考慮することは感情としても難しいでしょう。

意識しすぎでイップスになることもあるので、「意識する」ことにすら使いどころがあるのでしょう。