よい指導者のもとで教わることで得られるもの


スポーツをする時にまず、どこの指導者に教わりたいかを考える選手は多いと考えています。

私自身は、あまり考えていなかったことを覚えています。
理論的に考えず努力で変化できる部分を信じ過ぎており遺伝子や環境の影響を軽視していたからかもしれません。

本題について考えてみますが、良い指導者というのはどのような監督やコーチのことを言うのでしょうか。
例をあげて見ます。

  • 指示されたことを行うだけで、個人・チームに目的とする結果を得られる指導ができる
  • 選手のプレーとチームが勝つための最善の選択肢を考えて、将来的にもプラスになるようにアドバイスを与える
  • 過去に結果を出した実績を持ち、それが自分の実力関係なく将来的に好評価を与えてくれる
  • 目標を達成してくれるためのにある程度厳しくも、丁度良い場所で成長してくれるように厳しくもアドバイスができる

 


上記の内容は、あくまで私が考えたイメージでしかありません。
「丁度良い場所で成長」と言う言葉の成長は、どこまでどのような技能の向上を指し示すのでしょうか。
細かく自身で理解していなければ誤った選択になり、上記の例は自分で定義する必要があります。
もちろん、全ての言葉の定義や意味を理解する必要はありません。

今回の結論として、指導者のもとで教わることで得られるものとは、体験やスキルの他に言葉のイメージやそれにおける概念でもあります。
このことにどんな意味があるのでしょうか。
得たい結果と目的があり、それに対して選手に適切な言葉を述べることによって、考える道具を与えてくれることになります。

例えば、野球のバントについて教える時、構えと練習内容を教えて終わる人もいます。
しかし、バットの持ち方や体重の移動で、教える選手のほとんどがバントをできるよう教える指導者もいます。

この場合「よい指導者」は後者にあたりますが、もし前者の指導者の説明としてバントのやり方について資料の調査とプレゼンさせることを目的とした場合、どちらが良い「よい指導者」かは個人的の主観的なイメージへ委ねられることになると考えます。

ここまでのよい指導者における前提で考えた時、教わることで得たいものにプレーヤーが所持する言葉の定義が含まれ、それが今後プレーでコミュニケーションによって解釈するためのデフォルトの情報イメージと言葉の概念ということになります。


もちろん、スポーツの専門種目のスキルを獲得することはできます。
それ以上に重要なのが、言葉のイメージや概念を無意識に把握してしまうという前提で考えておくことが望ましいでしょう。

高校野球が気温の上昇により夏の開催で問題になっていますが、地球温暖化の問題そのものは20年程度前からあったものです。
高校野球は、夏にやならなければならないものではありませんが、それは無意識と言葉の概念のイメージでできているものです。

高校野球を夏に開催する理由とは何でしょうか。
夏の名物だから開催するということも変化させると色々な関係者の対応コストがかかることも理由になるかもしれません。


ただ、次の理由が加わると悩む人も多いかもしれません。
「選手の健康を害する恐れがある。」


私としては、どちらがいいかということを議論することが目的ではなく、無意識に設定された言葉の概念が影響している可能性を理解してもらえれば十分です。


無意識に言葉のイメージや概念の設計が選択や行動に影響するとしていたら、私たちは指導者がチームを導いた結果(全国大会で勝利したなど)よりも指導者を選ぶ基準が他に必要なのかもしれません。

卒業後は関係なく、高校の時をピークに最高の結果を残したいケースと生涯そのスポーツを楽しみたい場合では、試合で消耗される身体などを考慮した指導など、指導者の練習への配慮まで選択の基準とする必要があるかもしれません。


その一部が、無意識によることで設計されているものという認識を持つことで、自分の大切な部分について言葉を定義することへつながるかもしれません。
そこで無意識ないし意識的に定義された言葉の意味が、選択肢の基準となり自分の選択を有意義にしているのかもしれません。