認知と記憶の接続からスポーツについて考えたこと

認知したものでイメージした場合に記憶と接続しやすいものは過去の体験などです。
これは当たり前のことですが、前提にした時
スポーツだけしてきた人はそれが仕事へ活かすことができるようにならないとかなりリスクが高くなります。

座学などの学習の場合は、事務的なもので仕事へ活かしやすいことなど評価しやすいものです。
しかし、スポーツの場合には無意識で成長していると他に応用しやすくすることが難しいでしょう。
「長くスポーツをした人」が仕事でどのように影響しているのかを学ぶ場所はプレーや練習の場所になります。
白球を追うことが楽しくてスポーツをしているということも理由としてよいものでしょう。
ただ、教える側の設計としてそれだけではいいのでしょうか。

記憶の接続として自分がしてきたものが社会でどのように接続するのかを説明しているケースとしていないケースでは、どこで利用するかのアウトプットに変化が起きます。

物事の事象を抽象的にしてまた異なったものへ応用することにはかなり時間が必要になります。
この抽象化する部分の手助けをすることによって、選手の役立つ部分の引き出しにすることがポイントです。
その場は選手が面倒だと思っていても、流れた月日で役立つように設計することが必要でしょう。

もちろんこれは、スポーツだけでなく勉強にもリソースを利用でき、なおかつ学習におけるアドバンテージを使えるのであればそこまで価値がありません。


スポーツそのものは健康を保つことや楽しんでストレスを発散させるためのものでいいと考えます。
スポーツのそのものは、楽しくするための娯楽であるためそれでいいのですが、問題はスポーツだけをしてきた人の能力についてです。
「スポーツだけをしてきた」というのは定義にもよりますが、小学校から高校卒業までの長い年月プレーをする選手もいます。
仮に中学校と高校で同じ種目のスポーツをしたのであれば受験などを除いても4年を使用することになります。
この場合スキルの向上のみ以外にも時間を使用することが可能です。
自分の能力の向上をどのようにして意識化して数値化したのかという点をアルバイトもしくは学業に応用したのかという点を説明できることが好ましいでしょう。


もし、「個性が大切」という言葉を大切にしたいのであれば自分が成長した過程の説明を評価基準に設定することが必要になるでしょう。

私たち自身は、認知する接続しやすい記憶によってイメージしていきます。
それは五教科でも、プログラミング・料理などでも同じことです。

野球のたとえ話など聞いたことがあるかもしれません。
監督が社長で、選手が社員を例にチームワークで全て4番バッターでは点がとれないことと同じでそれぞれ役割があって利益となるなどです。

日常自分が利用している行動・記憶からイメージしやすいものです。
そのことを前提にした時、自分がスポーツで苦労した点と向上した点をどのように成長した過程の説明ができるかがポイントです。
そして、ポイントを思考する道具にしていることが必要になります。

では、次の問いを考えてみてください。

サッカーで得た知識と経験があるとして、それを企業の売り上げを上げることにつなげる仮説のシナリオを作成する。
(ただし、得た知識と経験は都道県内の大会でベスト8程度とする。)

 

いろいろな回答があると思いますが、重要なのはこのような問題のためではなく、それが実際に働く際に自分の体験を有効に活用できるかどうかという点です。
自分の身体能力がない場合、データを利用してチームの得点率や防御率を向上させたことでもいいかもしれません。
もちろん、この領域に至る人は身体能力や家庭環境に恵まれている人であって健康維持や楽しみたいだけの場合はあまり役立たないかもしれません。
スポーツに付加価値をつけたい場合には有効な思考方法だと思うので一度考える機会になれば幸いです。

以上、認知と記憶の接続から考えたスポーツの利用の幅についてでした。