複数の視点を持っていることが価値なのか。

多角的な視点で物事を捉えることについて考えてみます。
複数の視点から物事を捉えることはどのようなことでしょうか。

まず、前提として人が何かを考慮する場合には接続しやすい知識を利用することになります。
これは認知的な負荷を減らすことために、誰もが利用していることです。

例えば栄養バランスを考える食事をすることで何を連想するでしょうか。
保健体育の授業で学習した栄養バランスガイドでしょうか。
クラブチームでが指導してくれた人から学んだ知識でしょうか。
自分の体験や学習した内容で接続しやすいものをイメージすることになります。

このことを前提にした場合に複数の視点になることの処理は、いくつかのケースを自分で擬似的に連想することになるでしょう。

栄養バランスのを複数の視点で捉えた場合にどんな方法があるでしょうか。
ダイエットを目的としているケース、健康を維持するケース、糖尿病を予防するケースなど様々です。

当たり前ですが、前提の知識が足りない場合調査が必要です。
結果にならないケースでも前提のことを確認するか、再度調査することが発生します。

ネットに関して言えば、いくつかのカテゴリがあります。
[メディアのサイト:専門団体サイト内の情報:SNS上でのコメント:動画:専門の人が書いているブログ:]


複数の視点から自分に良いものを選ぶ場合調べる(学習)ことと体験することが必要になります。
体験する場合はより確実な事実が欲しい場合になります。

これらは言語化してみると当たり前のことです。
ただ、調査するカテゴリについては、知識や体験が不足している人は難しい作業になります。
前述にあったように自分が体験したことのないことの調査することには時間が必要になります。
指導する人がそこで補助的な役割をすることがポイントになります。
今後AIが補えるようになるといいですが、複雑な情報処理パタンと判断する基準の設定などから、もう少し先になりそうです。

少し話がずれてしまいました。
視点を複数持つことために調査することには補助が必要です。
応用が難しい理由については人が接続しやすいイメージで思考を止めてしまうことが要因だと考えています。
調べる方法を教えればいいと簡単に考えますが、小学生で辞書を利用して探す方法を習ってもそれを応用することは難しいのではないでしょうか。

これは言葉という定義化されたものとスポーツなどの体験を調べた言葉の概念で比較することへの困難さがあるためだと予測できます。

また、複数の視点で物事を考えることはできますが、それを目的のことへ利用することにもハードルがあります。
良い食材があっても、それを美味しく調理する方法をしならなければ食材は役立ちません。
それと同じで「複数の視点を持つ」という手段も生かす方法がなければ価値が少ないのです。
自分のことを客観的に理解するには複数の視点は必要になります。
結果を出している人の場合にどのように利用しているのか内面処理から理解する必要がありそうです。
「客観的に物事を考えているます。」はほとんどの人でイメージや脳内の処理が違っていることがほとんどなので今後私を着目してみたいと考えています。


以上、「複数の視点を持つこと」について考えたことでした。
「複数の視点を持つこと」を自分で定義してみることの補助になれば幸いです。