理解した上でどのように選択したいかまで設計すること。

科学的にいろいろなことがわかり、それによって改善されていることはたくさんあります。
スポーツなどは、水を飲むことを禁止していた20年ほど前からすると体幹のトレーニングまで様々なものが変化してきました。

高校野球でさえ、タイブレークでルールも変化しつつあります。
常識や認識が変化していくことは、前提となる知識が変化していることからすると当たり前なのかもしれません。

ここで少し考えてみたいことがあります。
「スポーツには、忍耐が必要でしょうか。」
忍耐という言葉のイメージが良くない人もいるかもしれません。
では、スポーツのスキルを向上させるためのきつい練習は必要でしょうか。

この質問になるとプロのプレーヤーを目指すのであれば必要と考える人が増えるかもしれません。
「忍耐」という言葉に違和感を抱いた人に関しては、昔のような論理性のないやっておけばいい練習をイメージしたのかもしれません。
昔のように、しごきのような適当に実行するだけの練習はなくなりつつあります。
もちろん選手が求めるのであれば、しごきのような練習メニューをとりいれたいという人はいるかもしれません。
試合におけるプレーの安定につながるのであれば、それは必要な練習になるでしょう。
ここで考えることは、スポーツのスキルを向上をさせるための練習の必要性と目標の設定における決断になります。
人のメンタル部分が変容する変数である限り、スポーツの練習に絶対的なく正解は微妙に変化して、定義化することは難しいでしょう。

さて、この言葉の違いによって生じた問題ですが、簡単にするとどこまで練習の強度を上げる必要があるのかということになります。
試合でのパフォーマンスがきつい練習をしたことによって上がるのあればある程度の厳しい練習を肯定せざるをえません。
ですが、現状は人の休息におけるパフォーマンスの向上は科学的に証明されているので、文化的な側面における常識の肯定によって
価値のない厳しすぎる練習はある程度淘汰できるかもしれません。

さてここからが本題です。
科学の発展、情報の共有化の進展によって、様々な情報を手にすることができるようになっています。
メンタル面のことや、身体面のことなどを詳細まで理解した上で選択することを設計していく必要があります。

先ほどの練習のことで言うと身体面のことを考慮した場合休息すべきでも、メンタル面の強化を考慮した場合練習を継続した場合が良いなどが例になります。
最近では、いろいろな研究結果によって様々なことがわかりつつあります。
限定的な条件のケースもありますが、これはこれからますます進展していくでしょう。

これからは限定的な条件を考慮して、練習がマネジメントされているか理解した方が好ましいでしょう。
デスクワークでも座り方の意識によっては腰痛になる人もいれば、そうでない人もいます。
遺伝子の骨格的な部分もあるのでもちろん座り方の意識だけでは改善できない部分もあります。


これまでのことは理想であり、指導者に恵まれない場合もあります。
その場合は選手自身が練習の意図を理解して練習を設計するしかありません。


様々な情報を得ることができるようになった今、何が正しいかよりも、目的によって何を選択しているのかを過程から把握して行動していくことが必要になります。
これは再現性のある行動をすることが目的にしています。
過程を大切にすることの意味については次回に言語化してみます。

このことはおそらくどこか違う文章で描かれていることになるでしょう。
この文章を初見だった人もそうでない人もそれからどれを選ぶのかと言う点で、
様々な選択肢を理解した上で選択を設計してみてください。

そういった意味で、選択に価値が生じるのだと個人的に考えています。
昔は、きつい練習をするから技術も向上するという思考だったのかもしれません。
ただ、今はきつい練習をすることだけが勝利に結びつくということでもなくなりつつあります。
情報が増えて選択できるようになったことに価値を加えれるかどうかがこれからのポイントとなるのかもしれません。