有名なプレーヤーが名指導者にならない理由の考察

結論から述べると感覚を磨くことと言語化することには、フェーズがあるから有名なプレーヤーが名指導者になれないケースがある
ただこれは人によってさらにカテゴライズされている。

物事を伝えるフェーズ状態は大きくわけて以下が考えられる。

・自分の運動を理解する。

・理解した運動の内容を一般的に理解できるように言語化する。
(理解できるような運動獲得の体験過程を理解させる)

・対象者となる人の言葉の概念などで理解しやすいものに変化させる。

・対象者が体験した直後に的確な言葉を理解しやすい形で提供する。


この4つのフェズ以外でも複雑化すればさらに多様なものにできるだろう。
伝える側だけの目線で考えた簡単なカテゴリーでも上記のようになる。

有名な選手が上手く他者へ運動感覚を伝えることができないケースはもちろん言語化以外にも理由がある。
遺伝的ないしは運動の獲得によって得た筋力及び腱付近の柔軟性が特殊であるために自らの運動を共有できないケースだ。
もし、スポーツ選手が他の競技者への指導で自分が成長によって得た体験を共有させたいのだとすれば、自分の運動の言語化は常に意識した方が効果的だろう。

もちろん、「相手にどのように伝えるのか」「理解できる言葉の概念イメージはどのようなものか」といったことも必要だ。
それはの言葉が相手に効果的なものになるには、場面と対象者の体験している内容によるからだ。
物理学者が使用する専門用語を活用してより詳細にスポーツ選手の運動現象を解説してもそれは他者が理解する体験にはなりにくい。
教える人は、対象者が理解できるレベルまで言葉を加工し、努力しても効果のない伸び悩んでいる選手に向上できるようなアドバイスとすることが理想的だ。

難しい言葉の方がより詳細に運動について理解を深めることができるものの、多くの人に支持される文章は読み手に負荷の少ないものだ。
これは現状の検索エンジンが検索する方法が得意でないユーザーに提供するコンテンツにおいて優しい文章になっていることに似ているかもしれない。
また、スポーツの指導において多くのコンテンツや指導方法がある中で、対象者の運動レベルに合わせて的確な指導方法を提供することはAIによって概念化されるのはまだ先の話だと考えている。


自分の運動現象を言語化できない場合は、他者に依頼することもスポーツ選手のマネジメント能力として必要かもしれない。
ただそれだと自分が伝えたいことを本当の意味で伝えることが難しくなる。
有名になった人の言葉がメディアを通すことによって自らが表現したい内容とは程遠いものになってしまうことに似ているかもしれない。

ただこのことは多くの人によって忠告されている。
本を読み自分の体験において言葉で共有する内容を広げることはたくさんの大人が「本を読むことがためになる」の1つの場面だろう。

だが、読み誤って欲しくないのはこの文章がトップのプロスポーツ選手が自分の運動現象の把握において言語化することをおろそかにしているということではない。
日々のコンディションの維持や加齢とともに変化するフィジカルのために解釈や見方を変化し続ける必要があり、自分の運動を言語化している時間はなかなか捻出することが難しいと考えている。

以前に理解したからといって、それを実現できるわけではないということを文章にしていた。
その逆もまた然りで、実現できたことを私たちは全て把握できてはいないということだ。
言語化することにも細分化すればレベルがある。
スポーツ選手の運動動作の言語化とは少し違うが、過去に話した人で相手が欲しいと考えているタイミングの情報を提供するスキルを持つ人はいる。
対象者によってパターン化している印象を持った。
それは営業、人材系の紹介のエージェント、カウンセラー、インストラクターなどはなし方やその内容は違っていても共通点があった。
相手によって自分の脳内におけるデータべーすから必要な情報を適確なタイミングで話せる共通点だ。
中には、それが苦手なのか自分の持っている情報を全て話そうとする人もいた。
それは、自分の主張したいことで相手に情報を整理させてしまう負荷が発生する。

自分の体験の言語化と相手に必要な情報を欲しい場面で提供できるスキルが名指導者の一部の条件なのかもしれない。

以上、有名なプレーヤーが名指導者にならない理由について考察でした。