スポーツにおける就職のアドバンテージが勉強を諦めることにはならない理由。

スポーツをしていた経験が就職に有利になることは問題がない。
スポーツができることを勉強のできない理由にしていいことに問題がある。

この問題についてはかなり部分的に考えることになる。
「勉強ができない」ということのレベルについて考えることが必要になる。
偏差値が60以上になることが必要となるレベルではなく、(もちろん学力偏差値があればあるだけ都合は良くなる)記憶する動作すら放棄することが問題だ。
スポーツができるため毎回の授業を聞いていないことは危うい。
記憶する動作に関しては習慣の形成等も考慮する必要があり、日常の姿勢は侮ることができない。

自己決定によって得意な分野に時間のリソースを利用することは選択として必要だろう。
先のことを考えた場合どれだけトップの選手になったとしても選手を終えたセカンドライフについて考慮する必要がある。
10年に1人か2人の選手にならない限りプロで40代・50代まで継続してプレーすることは難しい。

能力を最大限に利用することを考えるとプレーしていたスポーツやそれに関連することについて指導することが価値の高いサービスの提供になるだろう。
これは通常の仕事についても同じだ。
自分の経験を利用することが転職市場でも給与を下げない方法だということは理解しやすい。
スポーツについて教えることは自分の経験だけで勉強は必要がないと考えるかもしれない。
しかし、指導する場合に自分の感覚を的確に相手に伝える必要がある。
相手が理解できるレベルに情報を加工しそれを提供していき、相手が望む運動を獲得するプロセスを確立することになる。
また、食事や身体、生理学レベルの内容は把握してコンディションの維持などのアドバイスも求めらるケースもある。
個人事業主や経営者になれば、また違ったことを学習する必要があるだろう。

これまでの経験などを利用しないケースについて考えると、自分で学校に通うか企業が教育スパンを含めた雇用を決断し採用になるかのどちらかになる。
学校に行く場合はもちろん、企業の雇用になっても「学習」することになり過去学校で勉強したことや習慣が必要になる。
つまり、学生時代に勉強することは将来の行動形成や使用する知識に繋がっているとも言える。

もちろん、この意見は現状を正論化するための理想という見方もできる。
三角関数や科学の元素記号は学校卒業してから聞いたこともないという人もいるだろう。
それに加えて、学校の広告になるため毎日厳しい練習をしているのだから勉強が部分的におろそかになることもあるかもしれない。
だがどれほど勉強に関するシステムを否定しようが、現状偏差値による評価基準は変化しない上「学習」するという動作は社会人になっても必要になる。

一流のスポーツ選手について考えた場合、自分のコンディションを維持するために勉強している選手が多い。
プレーの向上のために様々なことを勉強している。
栄養士に食事を管理してもらっている選手も食品添加物において科学式から考えているわけではないものの、どんな栄養素を摂取するかについて試合後・試合前からトレーニング前後など毎日の食事について把握している選手も多い。
長くプレーしていく選手ほど自分の体の特性を把握し、それをトレーニングやプレーの向上のために利用している。
感覚的にプレーしている選手でも「学習」を利用することになる。
トッププレイヤーの中には、考えることなく体の反応で対応しているということもある。
しかし、考えることなくプレーをできるようになるまでの同じ練習を繰り返すことには、年齢とともに衰える身体のケアから微妙な変化への対応などを考える必要がある。
試合で考えないようにプレーできる練習設計を自分ですることを考えると勉強はやはり必要だ。

再現性のあるプレーを継続することには「学習」は欠かせないものであり、スポーツ選手は引退した後も結局勉強することは必要になる。
結果ばかりを求めらるスポーツにおいては指導者もスポーツについて理屈や学習などに関与しないケースもある。
脳内における勉強をするしないの判断は個人の自由だとしても、勉強をしなかった場合による選手のリスクは知る権利がある。
リスクヘッジのためにも学習することは必要だ。

以上、スポーツにおける就職のアドバンテージが勉強を諦めることにはならない理由について考えたことでした。