体験した出来事があるかないかによって人は理解のしやすさが異なるという現象。

一度体験したことでイメージがしやすいということは当たり前だという意見をもらいそうだが、
使いかたについて考えたことがあるだろうか。

例えば誰かに説明をする時に使用する。
テニスの初心者で野球をしたことある子どもについて、テニスのサーブの動作についての説明は以下のようにできる。
【説明】
相手プレイヤーに半身で左手でボールを上げ、タイミングをはかり野球のボールを投げる時の腕の振りでラケットをボールに当てる。
野球でキャッチボールを利用する時に必ずボールを投げる運動動作があるのでその体験を利用することになる。
ラケットにボールを当てる位置や面の微調整などは練習で感覚として覚えていくことが必要になるだろう。

過去体験の利用で言えば営業マンはクライアントの共感を得るために、なるべく共通の話題を利用する。
これは記憶の接続のしやすいものの方が理解への負荷が少なく親近感が生じやすくなる。
精神的共通点だけでなく物理的な共通点も信頼関係を構築することにつながっているからだ。

一度体験したことは脳内の記憶にアクセスするだけでいいということは理解しやすい。
では体験をしたことのない出来事の場合はどのように変化するだろうか。
自分が体験したことの近い記憶を探し、それを利用していることになる。
記憶の検索は負荷になりやすいという推論になる。

テキストの認知的な問題になるが、言葉へのイメージは強化されている方が連想されやすい。
テニスのラケットの振り方については、プロの選手の動画を見ていることでラケットの振りという言葉の連想は動画の内容で強化される。
もちろん自分でラケットを振る動作について体験したことがあれば、自分がアクションしたことのある動作の方が連想しやすくなる。
だがそれは頻度やイメージの動機付けなどに左右されるため絶対とはいえない。

イメージへの接続が強化されると理解することへの処理もスピードが上がる。
このことから考察できる2点の重要なことがある。

体験していない出来事による説明や会話については、体験したことのある人との理解の差ができる。
体験した出来事がない場合の理解においては自分で理解するフローを用意する訓練が必要になる。

この言葉だけを聞いていると何を細かいことを言っているのだろうとなる。
だが塾や学校の先生、上司による説明などの場合で考えてみてほしい。
そしてそのことが連続するとどうだろうか。
学習における記憶の差に記憶する出来事と関連するイメージとの紐付けなどが効果的であることは聞いたことがあるかもしれない。
つまり、同じ時間で同じテキストの認知処理をしていても記憶する内容は異なっているということになる。

この例は学習についてだが、スポーツにも部分的に同じことが言える可能性がある。


このことはあくまで考察に過ぎない。
また、先生にたとえ話や例について質問して授業を止めることができる人もいればできない人もいる。
上司の説明を例え話の時にその都度質問に時間を使用することも難しい場面もある。
重要なのは、理解のしやすさが異なることを知っていることにおける努力の工夫になるだろう。

以上、体験した出来事について考えたことでした。