グレーゾーンを考える能力をどのようにして鍛えるか。

言葉の概念は厳密には一人一人違う。
イメージや体験した事象、知識などから言葉を解釈するためだ。
例えば、日本について所持している情報の少ないイギリスに住む人と日本に住む人で寿司のイメージは違っていることが
多い。
海外に住んでいる場合唐揚げやアボカドを巻いている巻き寿司のことを連想しやすい。
これは海外のお寿司屋さんで体験していることをベースにし、過去の記憶にアクセスして「寿司」という言葉を連想しているためだ。
分かりやすいように海外の人と日本の人を例にしてみたが、同じ日本に住んでいる人でも言葉の概念は違っていることが多い。

所持している情報と比較して異なり、同じような情報代替案とも違っている場合受け入れることが難しいことがある。
思考の多くは0か1かの判断になりやすいからだ。
認知的は負荷をかけないようにしている人の習慣と考えることができる。
人の処理機能的な部分もあるが、これは訓練で変化することができるだろう。

言葉の概念は詳細まで理解すると自分の理論と相手の理論の共通点があり理解できることもある。
言葉の概念について言えば理解するコストを消費すれば、思想などの違いがない限り理解することは可能だろう。

これについてはスポーツの指導のケースでも利用することができる。
教える人の言っていることを実行しても結果にならない場合、指導方法が悪いと考えるケースがある。
このことは、指導されてから長期間試している場合自分の決断の問題になる。
今回は指導者から助言されて3日程度経過していると考えてほしい。
3日試してみてその練習方法が自分には効果がなったと判断することは情報が不足していると考えられる。
自分の運動特性や能力(速筋などの筋力レベルから運動のイメージを利用しての再現などいくつもある。)、理論の把握などから自分にとって無駄な練習とするには検証情報が少ない。
指導内容を理解して検証した結果が好ましくない場合、厳密に指導されている言葉の概念を確認する必要がある。
このことには以前にも述べてあり言及しない。

自分にとってスポーツで好ましい結果を望む場合、時間というリソースを使用して0か1かの判断ではなく、グレーゾーンについて考えてみることになる。
言葉の概念が違っているという場面はよくある。
子供の野球の練習で教わった通り規則正しい「ダウンスウィング」をしてしまい、ゴロしか打てない打者などは典型的な例だ。

さてここで理解したいのが、「考える」という言葉の概念についてだ。
スポーツでもどこでも「考える」という作業は発生する。
中には自分の運動特性を考えることなく教材のパッケージだけ実行して試すことだけが「考える」ということにしている場合もある。
教わった通りに継続して実行することもかなり優れた能力だが、程度の差はあれど「0と1の間の0.5について考える」ことは必要だ。

バッティングのダウンスウィングについて言えば、指導された練習パターンを試すことは実行していることだけだ。
もちろん自分のスウィングの軌道修正が目的ならば繰り返すことも必要だ。
しかし、教えられたダウンスウィングで結果にならないのであれば、「ダウンスウィング」について考える必要がある。

もし、指導者の教えられた通りの練習をしていて、結果になっていなければ以下のことが考えられる。

・練習の形は問題ないが、試合の結果につながるように意識して練習していない(練習のための練習)
・指導されている言葉の概念を間違えて理解しているため、結果につながらない練習になっている。
・自分の運動特性が邪魔をして、成果につながる練習になっていない。(指導された練習内容を正確に実行できない。)
・問題点が別の場所にある。

練習課題がダウンスウィングで最初の練習の形だけ真似ている場合には誰が見てもわかる規則正しいダウンスウィングになりやすい。
練習のパッケージをすることだけが目的になるのではなく、自分の成果にどのようにつなげていくのか考えた場合、ある仮説ができる。
ダウンスウィングにもレベルがあり、球種とコースによって変化させる必要があるのではないかという仮説だ。
もちろんこれは都合の良すぎる回答だ。
教えられた通りに練習ができる運動能力と問題への理解力があり、問題点がスウィングの軌道にある場合だ。
そのためこれはあくまでケースであり、練習の実行における結果の評価は詳細まで考慮することが必要ということを理解してもらいたい。

詰め込みで教えることが問題で考えることが重要だという意見が世間には浸透している。
そしてそれはどこでも聞くことのできる「考えることは大切」という言葉になっている。

しかし、考えることは大切と言っておきながら「自分で考える」という処理ができてしまいつつある。
考えることを教えるというのは「考えましょう」という処理を子供におしつけることではないということだ。
もちろん最初は、自力で考えることについて挑戦することも必要だ。
だが、考えることの概念について理解することを自分が生活していく中のどこかで幸運に身をゆだねて手にするというのは、言葉を知っているだけで理解していない。
人が知識を形式化し共有しやすくして今日のIQの高さになったのは、概念を定義して広めたからだろう。
ただそれも毎日の小さな連続で積み重ねてできたものだ。
わずかな思考の変化の連続にこそ価値があるという見方もできる。
今もこの瞬間もである。

今回のことが考えることについて自己概念化する機会になれば幸いだ。
あくまで機会であってこのことが思考の全てなどと言うのは過言だろう。
0と1の間について考えることは機会の1つでしかないのだ。

以上、グレーゾーンを考える能力をどのようにして鍛えるかについて考えたことでした。