「学習」という言葉の概念

「勉強する」「学習する」といった言葉は小さい頃から聞いたことのある言葉ではないだろうか。
しかし、その言葉がどのような動作を指し示すのかについては語られないことが多い。
いや、正確には記憶するという動作の検証行為を意識するまでに時間がかかっているということかもしれない。

学習の成果は記憶してから何らかの形式でアウトプットすることにある。
記憶の検証行為に関して、テストの点数がフィードバックとしての役割と考えている。
だがそうだろうか、私たちが学習する目的は記憶したものをアウトプットして利用するところにあるのではないだろうか。

短期記憶のようなものではなく、長期記憶として保持し、自分が使用する時に自由に脳内のデータベースから利用することに価値がある。
理想的なことだが、学習したものを数十年単位で知識として保有し、それを利用していくことが目的だ。

メタ認知機能のことについて以前述べたが、学習におけるメタ認知機能を鍛えるには学習におけるフィードバックの検証作業を繰り返す必要がある。
一般に言われる「努力」の方法論について考え、効率の良い記憶のパターンを見つけるのだ。
子供にしても大人にしても「勉強する」「学習する」という処理(言葉の概念)の意味合いについて考慮することが必要だ。

例えば、四字熟語の学習で次の方法について考えてほしい。
・20分間ひたすらノートに字を書いて反復練習する。
・四字熟語となった物語の背景から文字の意味を考えて記憶する。
・文字をマインドマップのように既存知識と結びつけて関連性を明確にして記憶する。

どれが学習として優れているのかについては、個人差があり選択の問題になるだろう。
もちろん上記の方法は例であって組み合わせて自分なりの方法を確立している人もいる。
重要なのは、方法論について検証し、どの記憶方法が自分とって重要なのかを確認することにある。

このことは何も勉強に限ったことではない。
学習という動作が発生しているものは全て検討の対象だ。
だが、勉強ができる人から考えるとこれは特に考える必要はないのかもしれない。
教科書に書いてあることを現状の学校にように朗読し読み書きすれば全て記憶することができる人もいる。

最近気になるのは、このような「勉強する」という言葉の概念形成は親の収入などから形成された環境によって決定するのかもしれないということだ。
ただ、どれほど有益な情報があったとしても私たち自身が必要だと思わなければその情報へのアクセスは制御されている。
「勉強する」という言葉についての検証とフィードバック機能の確認がどれほど重要だと両親が言っていても、
学校の先生や親友、塾の講師など意思決定における選択基準となる人々が否定していれば学習の言葉の概念について疑問を持たないかもしれない。
この場合、「勉強する」という言葉についての検証とフィードバック機能の重要性について知ってもらうには思考のバイアスをどのようにして解くかというフローが発生することになる。


スポーツのことについて考えてみよう。
スポーツで解剖学は必要と理解はしていても、
人の身体組成について勉強することは退屈でモニターの画面上で動くパワーポイントを眺めているだけかもしれない。
しかし、プロの世界で活躍してきた有名な方が動画で身体組成の情報を利用して成果を出した方法を説明していたらどうだろうか。

身体組成の部位名など関心がなかったかもしれない。
だが、有名選手という既存知識とつなげて自分が利用することでどれほど有益な情報になるか知ることで、学習の質は変化する。

このことから考えると、自分の体験していたことや所持している知識に接続しやすいものの方が記憶されやすいということになる。
当たり前といえば当たり前だ。
マーケティングや物理学、マネジメントなどの専門的な知識を学習しようとした時、
自分の専門分野で説明されていること方がイメージしやすく学習しやすくなる。
既存の本や抽象的な言葉から自分の体験や知っている知識などで言葉の概念を理解することにはいくらかリソースが必要だ。
関係のない事柄を語呂合わせで学習することにもメカニズムがありそうだがそれはまたどこかで。

ただ、言葉の概念の確認にも課題が発生する。
自分のフィードバック機能をどの周期でどの程度確認する必要があるのかというものだ。
現状これには個人差があるため自分で方法について検証していく必要があるとしか言いようがない。

普段に何気なく使用している「勉強する」「学習」という言葉だが、その方法については自分で考える機会は少ない。
既存で使用したことのある学校の方法がベストだと思っているからだ。
過去とは違い社会人になっても勉強して成長することが求められる昨今。
自分の「学習」方法について少しばかり問い直すことも必要なのかもしれない。

以上、「学習」という言葉の概念について考えたことでした。