感情のリソース。

成功するイメージと成功体験のイメージの違いについて考えたことはあるだろうか。
完結に述べると実際に体験したかどうかの違いしかない。
そして、成功をイメージすることの重要性はかなり理解されるようになってきたものの、
利用されるには少し壁がある。

今回は、実際に体験したことのないパフォーマンスをイメージすることの大切さについて考えてみた。
成功した体験を再現する時に多くの人は過去の成功体験のイメージを連想することが多いだろう。

実際に脳内で再現されるイメージは成功するイメージとあまり変化がないように考えられる。
練習でしたことの場所が試合をする場所へ変化しただけだからだ。

そう考えると、試合前にイメージすることは思った以上に役割が発生することになる。
これはパフォーマンスではどのことにでも当てはまるだろう。
パフォーマンスが成功するイメージを所持している場合としていない場合だと成功率が異なるのは、
人が成功体験を再現する場合に過去の成功したイメージを使用することが多いためだろう。

ただ、これはあくまで仮説の話であって個人差がある。
必要以上にイメージをすることでプレッシャーになるケースもあるので、パフォーマンス前に成功するイメージを使用することが100%良いというわけではない。

成功するイメージは成功体験のイメージと差はどれほどあるのかという問いを考えてみた。
もちろん成功するイメージにはプラシーボ効果も含まれることもある。
結局は、自分が思いこむことによって成功率が上がることであって、実力のある人の方が効果を発揮しやすい。

しかし、どんな人も最初は成功するイメージを使用するか(もしくは練習のイメージ)無心の状態でパフォーマンスをしたはずだ。
だからこそ考えるべきは、強者は能力があったから成功したということではなく、
成功するために使えるものはたとえプラシーボ効果が加わっていても使用することにある。

できないことの連続によって自信を失い人に会うことを避けるようになってしまったケースの人もいるだろう。
私もその1人だ。
もちろん、世界は成功するイメージで変化するなどという宗教じみたことなど言うことはしない。

大切なのは目的を達成したいのであればあらゆる手段を使って挑戦するしかないということだ。
挑戦する規模は個人個人で異なるが誰であっても何かに挑戦する必要がある。
重要なのは変化することが毎日の小さな連続したものの延長線上にあるということだ。
例えそれが簡単なことでも毎日の連続上にあれば難しくなる。

腕時計を今つけているものの逆につけることは多くの人にとって簡単な出来事だ。
しかし、これが毎日朝出かける前になると急に難易度は上がる。
子供のいる家庭では毎日の朝は秒単位で忙しく、一人暮らしの人では数分間の寝たいという誘惑によって朝の時間は左右される。
その中で自分の習慣を変化させるため、通常なら簡単な腕時計の位置を変えるということも難しい出来事になる。

さて、これは腕時計の話だが、自分の内面の部分でも同じことだ。
今までにない変化をしたい場合には、急に大きな変化をすることは難しい。
だがそれが毎日の小さな変化の連続によるものだとしたらどうだろうか。
重要なのは自分の意思と論理的な分析、そして隠し味に少しの情熱だ。
根性論みたいなイメージで情熱が嫌いなら、憧れやロマンでもいいかもしれない。
マガジンに出てくる登場人物のような熱血なスポーツマンの情熱でなくてももちろん大丈夫だ。
ただ、気持ちの強さのレベルについては自分がどのように変化したいかによるだろう。

成功するイメージも成功体験のイメージも違いはわずかだ。
大切なのは、目的を達成するためにどのようにイメージを使わなければならないかを理解していることにある。

大きな目的を達成するために、大人になることが重要だという意見から感謝することが良いということまで様々だ。
だが、人は急に変化することは難しい。
演じていた役を急にやめてしまうとなれば話は別だ。
しかし、私たちは思った以上に小さな変化しか手にできない場合が多い。
だからこそ自己啓発本が店舗数の減っている書店に並んでいるのだろう。
未来の大きな変化も今日の小さな変化の連続でしかないのもしれない。
成功するイメージは自分が変化する材料の一部でもある。

今回の内容は失敗と成功を繰り返して成長している人にはあまり関係がないかもしれない。
どちらかといえば私のような失敗の連続を体験した人向けだろう。
自分の中の変化を言語化して理解したことは、踏み出す一歩目において個人でレベルの差があるということだ。
もちろん時には誰かが一緒に手をとり、やや強引にでも新しい体験をする手助けをすることも重要だ。
しかし、時にはその人自身が気がつくまで待たなくてはならないケースもある。

人によっては甘いことを書いてるこの文もある人にとってはハードルの高いことでもある。
物事がわかることによって複雑化している現在は、幸か不幸かわからない。
わかっていることは変化していく社会と同様に私たちも変化して対応する必要があるということだけだろう。

よくあるこたえは自分の中にあるというつもりはないし、その言葉は私が使っても何の力もない。
情熱などの動機付けとなるものは、
この文を読んでいる人自身の内に今この瞬間もあるからだ。
そう考えると、挑戦する人と慎重になる人の差はこの部分にあって
挑戦を好む人はこの部分に感情のリソースを多く使っているのかもしれない。