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試される現実。

ビジネスの場において優秀な人ほど権威を振りかざせばやめてしまうようになった。

スポーツは少し遅れてはいるものの、厳しさだけを手段とする指導者の元には良い選手が集まらなくなりつつある。
これは多くの人にとって理想的な展開だろう。
理論的に分かりやすく導いて成果を出せる人ほど、選手が集まってくるようになっている。
もちろん継続するきつい練習が必要となる部分もある。
ただ、理想的な展開は評判や体罰などがメディアに何らかの形で露出した場合だけになっている。

体罰が手段として使えなくなったことは、好ましいことだろう。
使えなくなったことによって、緊張感が保てない指導者にとっては悩む側面もある。
選手が危機感を持たずに練習するようになったということは、指導者の技量のなさとも言える。

指導のあり方は明らかに変化しつつあるにもかかわらず、
過去のやり方に頼ってしまうことはよくないと誰もが理解している。
そして、私たちは今試されている状態なのだろう。
これまでの手段から、蓄積された指導方法を模索し採用していくフェーズにある。

となるとリソースが足りなくなる可能性がある。
これまでの手段を評価していくことはそれだけ時間がかかる。
保護者の対応や書類などの処理などが増えてしまってはそれだけ教育の質は落ちていくことになるだろう。
過去の教育は保護者からクレームがなく、好きなようにできた指導者からするとよかったのかもしれない。

本当にそうだろうか。
過去と違って現状は様々なものがわかりつつある。
その手段を利用してさらに良い学習プログラムを開発することは好ましくないのだろうか。

私は過去を利用することには問題がないと考えている。
だが、過去を懐かしむだけでは問題だ。
具体的な指標を所持し、過去の状態を数値化して現状と比較することが重要だ。
間違っても「よかった過去」という事実と解釈が混ざってしまうことはあってはならない。

しかし、これは改善することが前提だ。
過去を懐かしむことで楽しむという目的があるのならば、思う存分に過去を利用した方がいいだろう。

今、正論の中に体罰という文字はない。
そのため人に何かを教えることは苦労するのかもしれない。
それは進展であり、コミュニケーションの発展と言っても過言ではない。
社会も同じでブラック企業の研修が疑問視されるのは、新しいフェーズへと変化しつつあるからだろうか。
進展するという言葉から私たちは今いろんな意味で試されているのだろう。