読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

実行と検証の体験のデザイン

指導者は、プレイヤーのPDCA体験をデザインする必要がある。

実行と検証の間には大きな溝があるため体験をデザインする必要があるのだ。
例えば太りすぎることは身体に良くない状態となることは多くの人が理解している。
ところが、運動不足や食べ過ぎなどの食生活が原因で糖尿病や血圧などの様々な問題に悩まされることもある。

油物を控えることや適度な運動をすることが良いとは誰もが理解していることだろう。
人だから言われたことを100%の確率で実行できるというわけではない。
だからこそ、指導者はプレイヤーとのコミュニケーションをとる必要がある。
コミュニケーションによってPDCA体験をデザインするのだ。
それでも自分の行動を制御できないケースがあるのだから、プレイヤーが行う動作そのものでもズレが生じるだろう。

指導者が言えばプレイヤーが100%指導者の考えた動作を実行できるわけではない。
指導者はプレイヤーの体験をデザインする必要があるのはこのためだ。
そこで必要になるのが、コーチングや科学、IT(デジタル領域)になるだろう。

言えば実行することは人の行動ではなく、ロボットのような見方になる。
指導者で言われたことがなぜできないのかということで悩む人がいるかもしれないが、
それがある部分では自然だろう。
むしろ、教える選手すべてが言われたことができてしまう設定となっていることの方が不自然である。
もちろん、走ることなどで簡単なこともあるかもしれない。
そして、集団をコントロールするためには時には厳しさも必要になることだろう。
これは理想論ではあるが、個人への指導が厳しさによって不適切なものになってしまってはならない。

しかし、言うだけで実行するというコミュニケーションを省いたことになってしまっては、
スポーツの価値が下がってしまう。
というのも、指導者が上司だとした時、プレイヤーとのコミュニケーションは就職活動で必要とされているものに近いからだ。

スポーツの価値を下げることも上げることも何を意識するかで変化する。
コミュニケーションが何かということについてかなり考える時間はあった。
トレンドとなっているコミュニケーション能力はかなり前から存在している。
便利に概念が変化するコミュニケーション能力とは利益最大化するために上司への最善の対応と言えなくもない。

だが、スポーツが言われて実行するだけのことから変化するには、
指導者による裁量が大きい。
プレイヤーの実行と検証における体験のデザインも指導者に委ねられている。
問題はたくさんあるが、今後変化し生産性が向上するコミュニケーションを期待したい。

 

以上、実行と検証の体験のデザインについて考えたことでした。