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思考をデザインすること。

スポーツをする中で学べることは限られている。
逆にスポーツで学ぶことを選べるということでもある。

これは思考をデザインすることでもある。

スポーツにおいては何かを意識してするかしないかという2つのパタンに分かれる。
意識する場合、以下の例で考えることができる。
スポーツを健康維持のために利用すること。
スポーツをビジネスの理解のために使用すること。
スポーツをメンタルトレーニングのために利用すること。

何に利用するかはそれぞれのマネジメントによるだろう。

重要なのは何をどのように解釈するかで私たちがするスポーツが変化するということにある。
例えば、あるCMで「スマホと大人になっていく世代は私たちが初めてだ」というセリフがあり初の体験という解釈をすることになる。
斬新で今の世代でしかない心に残る言葉だとも言える。

しかし、よく考えてみると
 「3Cと大人になる世代は私たちが初めてだ。」という言葉にもできる。
高度経済成長を体験した世代もまた初めてだった。

 私たちの生活する社会が、改善と生産を前提にあるため世界は日々変化していく。
 つまり、私たちは発展していく新しい初めての何かと共にある生活をしているという解釈ができたとしたら、「スマホと大人になっていく世代は私たちが初めてだ」という言葉は自然なセリフとなる。

ただ、CMで綺麗な人が革新的な技術と内容を述べている場合、印象は異なってくる。
印象値の話ではなく、解釈の問題という話なのでこの内容はここでは言及しない。

斬新で心に残りやすいCMのセリフも解釈によっては、何気ないワンフレーズに変化してしまう。

それは、スポーツも同じだ。
自分たちで計画してマネジメントし何を意識するかで、スポーツの体験は異なってくる。
計画の内容によって解釈することが変化するからだ。


何が言いたかったのかというとスポーツは意義のあるものではなく、
人の狙いと感情によって、スポーツは意義のあるものでも無駄なものにもできるということだ。

スポーツの向上は遺伝子に左右されることが多い。
だが、スポーツがどのように役立つかは個人差はあるものの、人の努力によって変化することができる。
先ほどのワンフレーズが解釈によって変化したように、今この瞬間から変化させることができるのである。

そして、スポーツを楽しむため適度に行うものなのか、学習するためのものかは個人の判断に委ねられるが、私たちは初めてスポーツにおける学習内容を選択できると意識する世代なのかもしれない。

スポーツが多くの人の努力によって意義のあるものになることを心から願っている。
そしてそれは、私たちの思考をデザインするというある一種の選択でもあるのだ。

以上、思考をデザインすることについて考えたことでした。

 

 

(※3C:昭和40年(1965)ごろ、家庭にそろっていれば理想的とされた三つの品物。カラーテレビ(color television)・クーラー(cooler)・自動車(car)のこと

参照:goo国語辞書