現状維持と退化

現状維持とは退化だろうか。

現在の日本の人口と地域の人の減少について無理に維持しようという考え方が強いように感じる。
無理に人口を維持することよりも、人が少なくなることによって私たち自身がどのようになりたいかということを明確にした方がいいのではないだろうか。

スポーツでも現状の維持で弱くなることがいけないと考えるのではなく、現状のプレイヤー人口でどのような競技の設計をするのかという点を議論した方が良いのかもしれない。

プレーヤーの人口の増減が競技力に影響すると考えた時、全体の競技人口が減るとプレーヤーの人口ピラミッドの高さは低くなる。
プレーヤーの人口ピラミッドの高さを競技力の強さと比例すると考えられたのであれば、日本でのスポーツにおける現状の維持は競技力の低下につながる。
少子化対策もスポーツの競技力維持・向上につながるということになるが、これは範囲が広すぎるため議論が必要になりそうだ。

現状を維持することを[これまでの指導方法や教育プロセスに変化がない場合]とした時、競技力が下がることは人口減少から考えると仕方のないことなのかもしれない。

ただ、現状を維持することは勝てなくていいということではないと理解しておく必要がある。
これまでと同じように強さを求めて挑戦した結果だからだ。
そして、これからも変化していく必要がある。
ITの効率化やデータの利用、努力の使用方法や方向性についてのマネジメントがより改善されていくことが重要なのだ。

スポーツにお金が使用されるのは色々な意味で2020年前後がピークになるだろう。
2020年前後を一区切りとして今の日本人という言葉の概念で強さを維持するのは最後になるのかもしれない。
純粋な日本人ということで強さを維持することばかりで考えるよりも国際化によって色々な人種からスポーツが支えられることでさらにコンテンツとして面白くなる。

今の大相撲のように強い力士は日本人力士でない状態だ。
このような状態がどのスポーツにも起こりうると考えられる。

これまでのことから考えると日本のスポーツにおいて現状維持は退化とは言えないのかもしれない。
ITを使用することも、根性論が否定されていることからも、合理的へ変化し続けていると考えられるのではないだろうか。

しかし、楽観視はできない。
子供の人口は減り始めており、プレーヤー人口にも影響を受けることが予想される。

それでも、日本のスポーツへの情熱は世界のどの国にも劣らないものがある。
今後も、強さを求めて変化し続ける現状維持であることを願いたい。