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スポーツの立ち位置

教育に使用するケースと、競技スポーツで順位だけに焦点を当てるケースでは教え方が異なってくる。
日本ではスポーツを教育ために使用する方が多いように感じる。

これは、学校で部活としてスポーツが使用されているからだろう。

しかし、現状では競技力の向上についても必要とされている。

競技力の向上と教育的な目的におけるスポーツの使用についての問題になりそうだ。

それでは、私たちはどれほどの比率でスポーツを使用したいのだろうか。

現状では、教育的な目的を保持したまま競技スポーツとして補強していこうとしている。
しかし、教育的な目的の達成を強く意識しすぎるとリソースが足りなくなるということを考える。

連帯責任等の罰であったり、考え方における情報のレクチャー(礼節の大切さ等)などは、学校の部活動の時間をかなり使用することになる。
(1年生が実力関係なく、3年生引退まで声出しの練習しかしないケースもある。)

本当にそうだろうか。
指導者の考え方のレクチャーに時間を使用しているケースは稀の場合もある。


ところが良く考慮してみると、社会人の新入社員研修や採用活動にかなりの費用を使用する。
つまり、最初の考え方の共有には細心の注意を払って組織化していこうということが社会では行われているのだ。
このことを前提とした時、部活におけるスポーツで時間を使用して指導者の考え方をレクチャーすることは必要なことになる。

そして、それはかなりボランティアに近い立ち位置行われることになる。
特に部活が強化していない公立などの学校は問題視され、他の記事でも目立つほどだ。
この件は、指導者が選ばれる仕組みも含めて問題で今後のスポーツの重要な部分でもある。

また指導方法等の効率化からするとITを活用することは必須になる。
コンテンツの使用から、組織への登録作業(事務系)、ナレッジの共有化などだ。
コンテンツがIT化されることは、選手の理解のしやすさという部分から必要で、教育の機会均等が保たれる。

登録作業等の簡略化(郵送作業など含む)は、選手と指導者が接する時間が増えることを意味する。
ナレッジの共有化についてITを使用することも同様に選手と指導者の時間確保になるだろう。

もちろん、どのように伝えるかということが重要でそのケースに応じて紙やIT、ボディランゲージなど様々なものを使用することが好ましい。

しかし、ITを使用しても競技力の低下は防ぐことは難しいだろう。
競技力がプライヤーの総人口によって決まりやすく(総人口が減ると競技力が低下する)、日本は人口減少でプレイヤーの総人口減少しているからだ。

教育的な目的の達成も必要で競技力を上げることも今後求められるが、時間には限界がある。

どちらが大切かということよりも、どのように選択していくかという部分が重要になる。
スポーツの立ち位置は日々の連続している選択上にありそうだ。