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現実のコミュニケーション

スポーツでは、指導者の指示が的確であることが前提だ。
作戦の戦略上その指示は勝つものとされるためだ。

最近では、一方的なコミュニケーションは望ましくないが、プレーの向上が一方的なコミュニケーションで成立する場合もある。
それでは一方的なコミュニケーションが成立してしまう場合はどのようなときだろうか。

それは、選手の技術と知識が圧倒的に足りない場合になる。
この場合、教える側のコミュニケーションがある程度一方的で行われて時間の短縮によって勝つという目的が達成されやすくなる。

しかし、一方的なコミュニケーションは場合によって好ましくないことも起きてしまう。
できない選手のフォローを見逃しやすくなるということだ。

もちろん、熟達した指導者なら言われていることを実行するだけで上達することはあり得る。
さらに、技術と知識がないプレイヤーにとっては理想的なコミュニケーションを犠牲にすることも時間のために必要になることがある。

選手は指示をどのように時間を使用せずに、指導者のイメージ通りに実行するのかという点を考える必要がある。
指導者が使用する言葉の概念やイメージのズレをプレイヤー自身のものに修正していく作業が発生する。


ここまでは、いろいろな人が理解していることだろう。
その次に蓄積された知識をどのようにして、必要な人へ提供するかを考慮する必要がある。

人が少なくなれば、教える場所が減ってしまう。
さらに、教えることがなくなれば、それまで確立されていた指導方法が減ってしまうことになる。
今後人口が減っていくことでさらに指導のプログラムが失われていくだろう。

指導の方法論は教える人の目があっていかされる部分もある。
だが、教わる方法論があることは独学する時に使用することもできる。

しかし、指導方法を外部に漏らすことは戦略的に不利になってしまうこともある。
ナレッジの共有は他にも様々な面で難しい部分があるのだ。

これは1つの方法であり、今後スポーツをどのようにしたいのかという選択に委ねられる一部になる。
その回答は私たちの日々過ごす、連続の選択上にあるのかもしれない。

 

以上、現実のコミュニケーションから考えたことでした。