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スポーツの選択

スポーツの選択そのものは環境に依存している。
文化や影響力のある人に左右されることが小規模のコミュティで多くあることだ。
単純にEU諸国とキューバでは、サッカーと野球どちらを選択するだろうか。
日々のスポーツの話題やTVなどのコミュニケーションチャンネルで影響をどのように受けるかでスポーツの選択は決まってくる。

コカコーラとペプシコーラをのんでコカコーラが美味しいと答える人が多いようにバイアスがある。
広告に力を入れているから選ぶのかもしれないコカコーラのように、
日々情報に接することのあるスポーツが魅力に感じることになる。

スポーツの選択が自分の才能よりも環境から受ける影響によって決定してしまうことは不本意かもしれない。
本当にそうだろうか。
選択の多すぎることがスポーツを選ぶまでの複雑なフローを生じさせているのではないだろうか。
選択肢が多くなることによって以下のことが考えられる。

 

・多すぎる選択肢によって疲弊しやすい。(参考:選択の科学)
・評価される誰かがいなければ才能があっても継続は難しい。
・マイナースポーツでの才能を認められても、勉強することのメリットが大きい。

 

しかし考えてみると、多すぎる選択肢が疲弊することについては消費する物であってスポーツの選択の場合はまた違った内容になる。

だとすると、望ましくないのは才能を効率良く使用できない部分にあるのだろうか。

これは問題ではなく、決断をどのようにしたいかで決定してくる。
1シーズンで多種目のスポーツをできる環境がどの程度、今のスポーツレベル状況に影響を及ぼすのかリスクを把握した上で決断する必要があるだろう。

ITでも選択できる内容が狭い状況が発生している場合にはどのような内容改善が好ましいのだろうか。
もし文化や環境がITで変化できる世界ができたとして、その先に本当の意味でのスポーツの自由な選択があるのかもしれない。
だが、その変化を好む人はいるのかという新たな問いがそこにある。