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トイレの研究とスポーツ

私が、学生の頃トイレで座った時に左右の足に体重がかかる差についての研究の話を聞いたことがある。
記憶ではかがんだ際に均等になっていると考えていた左右の足にかかる体重比率でさえわずかな差があった。

生存においてまったく気にすることでもなければ、私たちとって知らなくても良いことかもしれない。
しかし、実際は本当にそうだろうか。
特別な理由がなければ体重は均等にかかっていると思った人がほとんどではないだろうか。
これが、1日1万歩を目安に歩いている人は一年で単純計算365万歩にあたる。
つまり、このことが示している両足のわずかな差が歩くことや走るときの大きな差になる可能性がある。

一番注意したい点は、無意識によって人は変化している死角が存在しているということだ。
トイレで座ることの前提として左右が均等の体重差であると考えていたとする。
その場合に両足にかかる体重について多くの人にとって意識しなければ、感覚はズレるということになる。
もちろんバランスをわざとズラして均等にならないようにしているということであれば話は別だ。


これらのことから考えられることは、無意識によって感覚で管理できるものは限界が存在している。

私たちは常に両足で立っている姿勢でも体重を片方の足にかけて、もう片方の足を休ませている。
悪い姿勢の場合があり、それが習慣化することによって故障の要因やアライメントが崩れる要因ともなりかねない。

私たちの毎日は知らないところで微妙に変化し、
連続した毎日によって大きく変化している。

無意識からの変化を体験するものではなく、無意識からの変化を体験していたものということになりそうだ。
そして、解決策と問題への注意は思った以上に独立した存在なのかもしれない。
解決策を実行することが無意識によって変化するものであれば実行されたデータは、その人個人における方法論でのデータにしかならない。

細かく考えた時、個人によって解決策の影響の差は異なり、問題解決には成功するまでいくつかの方法論を試すことになる。
実行したことの差が無意識に変化するという個人特有の行動特性の把握が無意識からの変化に抗う方法の1つだ。
「なぜ同じことをしてもできない人がいるのか」という問いにつながるものかもしれない。