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所持している情報の差とトレードオフで考えたこと。

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所持している情報量の差が教わる、教える双方の理解の差となるという点がある。
これは以前説明をした内容になる。
所持する情報量の差が教える側と教わる側のイメージや実際の動作へのズレにつながる。
(望ましい筋レベル所持と時間を使用することで運動獲得ができることを前提にしている。)

私たちは常に気をくばり、なるべくこの所持している情報の差が生じることがないようにしている。
ところが私たち自身の昨今がそうであるようになかなかうまく情報量の差をうまく埋めることが難しい。

ではなぜ、この教える側と教わる側の差が生じてしまうのだろうか。

人が教わった説明を理解して動作を獲得していくフローで、動作において意識することを簡略化する習慣がある。
サッカーのパスにおいてどのパスが望ましいのかという点を議論する高校生は少ないだろう。
トウキックか、インサイドで蹴るのかということは、相手の受け取れるパスが正確にできれば考えることはほとんどない。
これはサッカーをしている人のレベルによるものの、試合で勝つという目的の場合は優しいレベルの話になる。
紅茶を飲む場面で考えてみてほしい。
紅茶をのむ時に全ての動作を連想してイメージトレーニングのようなことをするだろうか。
砂糖やミルクをどの程度入れるのか考慮しても、紅茶の葉をどの程度入れてお湯をどう注ぐのかという点までイメージする人は少ないだろう。
もし全てをイメージするのであればその道のスペシャリストか、初めて紅茶を自宅で作る人かもしれない。
だが、慣れた人ではその連想が起きるたびに煩わしさを感じるのではないだろうか。


考えることの簡略化があるからこそ、人は必要な部分についてのみ議論できるようにできている。
教わる側と教える側の情報量の差をその都度で埋めていては試合に勝つための練習の妨げになってしまう時もある。
自らで調べて事前に学習することでこれらは埋めることができる。
何気ないスターのスーパープレーは動画を調べたり、ニュースで見ることができる。
そこでイメージの獲得をして練習に使用することができる。
様々なコンテンツをどのように利用するかという点で教える側はリードすることが望ましい。

コンテンツを使用することは考えないということではない。
考えれるリソースが限られているのであれば、考慮することに必要な部分がどこかを探すこと重要になる。
もし、全ての情報の量をさばくことができればその方が好ましい。
だが現実的に全ての内容を考えていくためのリソース確保は難しい。
そのため、考えれないものについてはナレッジを蓄積してそれを選手に提示し、理解しているかどうか確認するという理想になる。

教える側と教わる側の差については、紅茶の例のように無意識に動作を獲得していくほど論理化をしないという習慣になってしまう。
強くなるチームが基本を忘れてしまうことで負けてしまうことは、考えなくなる部分でのトレードオフかもしれない。

情報理解の簡略化が強さへの重点的に思考できる要因となる時、教わる側と教える側の差は存在してしまうからだ。
そして、強さの維持とはここにもヒントがありそうだ。

以上、所持している情報の差について考えたことでした。