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既にあるスポーツコンテンツ。

スポーツで上達するための参考になる画像や動画は色々と存在している。
検索をしてみるとペタンクなど日本でマイナーなスポーツでも世界大会の動画は存在している。

それであれば、選手は無理にコンテンツを探す必要はないのではないか?という疑問を持つことになる。
日本でトップレベルのスポーツ動画さえあればある程度上達している選手からすると十分なのではないかという意見もあるだろう。

ところがそれだけでは不十分な点がある。
以下の判断が必要になるからだ。
・対象の動画が参考になるかどうか。
・プレーヤーのレベルで対象となる動画を参考にすることが可能か。
・参考にしたプレーの再現性はどのくらいか客観的な判断できるか。

上記の内容を補うには、指導してくれるパートナーが必要になる。
もちろん、個人練習などで動画を使用することは可能だ。
ただし、参考時には動画が参考にする基準点が必要で、例としては次の点だ。

大会の動画であれば、どのレベルのものか?(世界大会、日本大会、地方の大会)
動画内で指導内容を述べているのだとしたら、どのような内容か?
ー指導内容を述べている人の実績はどの程度か。(プレイヤーとしてか監督としてか。)
動画の内容の結果はどのようなものか?
ー結果から述べている内容が理論的に理解が可能か?
数値化された明確な基準が存在しているか。
(数値に等しい理解しやすい基準が存在しているか)

ITの技術や有効な動画情報が存在していることを考えると、あとはどのように仕組化し情報を編集して届けるのかという問題になってくる。
提供することのシステムがどのように構築されるかという問題もあり、指導におけるコンテンツ化は思った以上に課題が多そうだ。

現状でも、指導者によって動画の提供するための編集をすることでコンテンツの提供をしていくことは可能だ。
だが、ボランティアで編集作業をするには時間が足りないという部分がある。
さらに指導者個人個人で作業をするには参考になる動画を探すために認知的な負荷がかかり、情報を提供しないということもある。
もし、この場合に信頼できる組織から情報(動画などのコンテンツ)が提供されていればどうだろうか。


コンテンツの提供は公的な組織の課題でもあるように感じられる。
というのもインターネットの情報提供における検索の上位には、アフィリエイト目的とされるサイトが多い。
もちろん、コンテンツがユーザーの目的を達成していれば問題ないが、中身のない情報であることもある。
努力しても報われない選手が検索した時に役に立たない情報が提供されるということは避けたい。
ITにおけるスポーツ動画のコンテンツ化によって、少しでも救われる選手がいることを願いたい。
それは指導者やスポーツ関連における組織に委ねられていると言っても過言ではないだろう。

思考をデザインすること。

スポーツをする中で学べることは限られている。
逆にスポーツで学ぶことを選べるということでもある。

これは思考をデザインすることでもある。

スポーツにおいては何かを意識してするかしないかという2つのパタンに分かれる。
意識する場合、以下の例で考えることができる。
スポーツを健康維持のために利用すること。
スポーツをビジネスの理解のために使用すること。
スポーツをメンタルトレーニングのために利用すること。

何に利用するかはそれぞれのマネジメントによるだろう。

重要なのは何をどのように解釈するかで私たちがするスポーツが変化するということにある。
例えば、あるCMで「スマホと大人になっていく世代は私たちが初めてだ」というセリフがあり初の体験という解釈をすることになる。
斬新で今の世代でしかない心に残る言葉だとも言える。

しかし、よく考えてみると
 「3Cと大人になる世代は私たちが初めてだ。」という言葉にもできる。
高度経済成長を体験した世代もまた初めてだった。

 私たちの生活する社会が、改善と生産を前提にあるため世界は日々変化していく。
 つまり、私たちは発展していく新しい初めての何かと共にある生活をしているという解釈ができたとしたら、「スマホと大人になっていく世代は私たちが初めてだ」という言葉は自然なセリフとなる。

ただ、CMで綺麗な人が革新的な技術と内容を述べている場合、印象は異なってくる。
印象値の話ではなく、解釈の問題という話なのでこの内容はここでは言及しない。

斬新で心に残りやすいCMのセリフも解釈によっては、何気ないワンフレーズに変化してしまう。

それは、スポーツも同じだ。
自分たちで計画してマネジメントし何を意識するかで、スポーツの体験は異なってくる。
計画の内容によって解釈することが変化するからだ。


何が言いたかったのかというとスポーツは意義のあるものではなく、
人の狙いと感情によって、スポーツは意義のあるものでも無駄なものにもできるということだ。

スポーツの向上は遺伝子に左右されることが多い。
だが、スポーツがどのように役立つかは個人差はあるものの、人の努力によって変化することができる。
先ほどのワンフレーズが解釈によって変化したように、今この瞬間から変化させることができるのである。

そして、スポーツを楽しむため適度に行うものなのか、学習するためのものかは個人の判断に委ねられるが、私たちは初めてスポーツにおける学習内容を選択できると意識する世代なのかもしれない。

スポーツが多くの人の努力によって意義のあるものになることを心から願っている。
そしてそれは、私たちの思考をデザインするというある一種の選択でもあるのだ。

以上、思考をデザインすることについて考えたことでした。

 

 

(※3C:昭和40年(1965)ごろ、家庭にそろっていれば理想的とされた三つの品物。カラーテレビ(color television)・クーラー(cooler)・自動車(car)のこと

参照:goo国語辞書

靴のすり減り方と運動の獲得

靴のすり減り方でわかるものとはなんだろうか。
わかることの1つに「普段どのような歩き方をしているか」というものがある。

靴の外側がすり減っているいる場合は、普段から体重が外側にかかっていることが多い。
このことが運動獲得にどのような影響があるのかというと、獲得する運動にスピンがふくまれている場合に回転軸が大きくなる。

回転する運動をする場合力が分散している場合が考えられるのである。
普段から足の裏の内側に体重がかかっている選手と足の裏の外側に体重がかかっている選手(靴の外側が削れやすい人)ではスピンする運動に若干の差が生じる。

まず、スケート選手のことをイメージしてほしい。
スケートのスピンをしている場合に手を広げている場合とたたんでいる場合では、手をたたんでスピンしている時の方が鋭く早くスピンする。
この現象は体重が足の裏の外側と内側にある場合でも、発生している。
規模は小さくなるものの、足裏の体重のかけ方で回転の鋭さが異なる。
スポーツのアドバイスで「内股にしろ」ということを聞いたことがある選手もいるかもしれないが、実際には足裏にかかる体重比率を変化させるということも重要になる。

気をつけてほしいのは、足裏の体重比率が体幹の動きにも連動しているかという点だ。
回転する本体にあたる体も、回転する軸が広がってしまっていては効果がない。
とくに股関節を重視して、回転することが望ましいだろう。

では、このスピンがどのように変化をさせるかという点について野球で考えてみよう。

バッティングについて述べていくと、体重が外側にかかっている場合ドアスウィングという現象になりやすくなる。
ボールの軌道において線でとらえるスウィングをしていない状態だ。
足の裏の体重が外側にかかっている場合、必要以上の遠心力が回転時にかかってしまい、スウィングが良くない状態になる。
ドアスウィングという現象にしないためにも、足の裏の体重は内側にあることが望ましい。

この改善策として、回転ではなく股関節の右側を股関節の左側に擦り合せるようにするという表現で解消させる指導者もいる。
意識のポイントを股関節にすることで鋭くスピンさせる方法だ。
いろいろやり方があるので自分オリジナルの方法で強烈なスピンのバッテッングにしてほしいと考えている。

もちろん他のスポーツにも応用でき、テニスやバドミントン、卓球などでも運動動作のポイントにもなる。
道具を使用しないものには、役にたたないのでは?と考える人もいるかもしれない。

足裏の体重が外側にかかっている場合に不利となる部分がある。
初期動作が大きくなり、運動における動作にわずかだが時間が必要になってしまう。
人が運動を判断する場合、初期動作が大きいと判断しやすくなる。
つまり、サッカーやバスケット、ハンドボールなどのスポーツ競技からするとディフェンスがしやすくなるのだ。

無駄な動きを減らすという意味ではナンバ走りを連想するがこれは別のものだ。

歩き方や普段とっている姿勢でも、運動の獲得は変化する。
自分の行動特性を把握して、運動獲得に役立てていただければ幸いだ。
以上、靴のすり減り方と運動の獲得について考えたことでした。

スポーツの評価を本当に高めるには。

長期的にプレーするほど学習機会がプラスされるスポーツ。

前回の内容においてスポーツのPDCAサイクルを意識することの有効性について述べた。
努力することが無駄にならないようにするために、意識してストラテジーマネジメントをすることが必要という点がポイントだった。

ただ、これにはいろいろな条件がある。
一番のポイントはプレーをどれほど継続していくかという点だ。
プレーしていく年月が長い選手ほど学習する期間が存在する。

選手として長い年月プレーするほど専門スポーツの行動特性を理解していることになる。
前回の内容だけではスポーツを良く見せるだけのものだったかもしれない。

ただ、それは違っている。
努力を効果的するためには学習が必要になるからだ。
中・高・大とプレーをすると10年間の時間がある。
いろいろな指導者と接する機会があり、プレーの向上においては、
指導者だけの責任だけでなく個人の責任でもあると言える。
時間があるためプレー向上の情報収集ができ、行動や解釈を変化させることができるからだ。

その間に学習することができるものがある。
コンディションを整える栄養のバランス、
身体組成のバランスとパフォーマンスへのコミットメント。
専門競技と学習したことへの関連付けと工夫。
(生理学、心理学、認知心理学、物理学、栄養学、解剖学、コンディショニング論などからの応用)
これらを勝利のためどのように使用していくのかという個人のセルフマネジメントが最大の学習かもしれない。

これらは短い期間では学習することが難しい。
また、適当に健康を維持するだけならば難しいことを学習する必要はなく、運動後のカロリーを計算することの方が重要だろう。
10年間プレーすると基礎的なプレーは考えなくてもできる人が多い。
そのため、基礎的な学習時間から解放され他の学習ができる余裕が生じる。
そこで、必要最低限以外のことを学習して応用することができる。

前回はスポーツをしている人が特別にPDCAサイクルをしているように述べた。

だが正直に言えば、人が成長の過程でPDCAサイクルSWOT分析に等しいことはほとんどのことでしている。
それはスポーツのことだけではなく、学校の5教科の学習から美術や家事、ビジネスなど多岐にわたる。
つまり、個人それぞれの物語で成長の過程に何を利用したのか説明することが重要になる。
スポーツは認知されやすく、部活などの影響で親しみ深く、熱狂を生み、メディアの露出で憧れる人が多く、私もその1人だという点で記述したのかもしれない。

この見方は、5教科とスポーツが同レベルの役割を担うことができる可能性でもある。
ただし、スポーツをしてきた評価を全体で高めるには、継続して他の学習内容の部分を応用するという計画と検証を繰り返す必要があり、根気のいる作業だ。

そして、これはプロ選手セカンドライフにつながる。
年収が少なくギリギリでプロとしてプレーしている選手は、就職時有利になるからだ。
それは、努力してきた内容と方向性が考慮されていることが前提だ。
だからこそ、個人のセルフマネジメントが重要になる。

それを企業の利益最大化に利用することも可能だからだ。
自分で考え工夫した努力がリスクヘッジにつながっていくことが理想になるだろう。

以上、スポーツの評価を高めることについて考えたことでした。

意識してこそ役立つもの。

以前、スポーツ選手がPDCAサイクルにより技術を向上させているということを述べた。

それを無意識にすることと意識的にすることでは、効果が異なる。

トレーニング中に目的が意識されていない場合はトレーニングを行うだけになってしまう。
これと同じでPDCAサイクルを認知している場合としていない場合の改善のアクションは差が生じてくる。

この前提にあるのは、スポーツ技術の向上は意識しなくてもおおよその感覚で改善していくことが可能ということにある。
明確に言葉にしなくとも、改善行動ができてしまうということはどのようなことだろうか。

バッティングで考えてみよう。
バットが下から出ているということで今度は、バットをあげて振ってみるということでバットをレベルスウィングできる選手がいる。
しかし、バットあげるだけではボールを点でとらえるダウンスウィングになる選手もいる。
その場合言葉にすると以下になる。
バットの位置をあげてスウィング中はバットのヘッドが体の回転軸から90度よりも下がらないようにする。
(この時レベルスウィングについて確認しておけば、レベルスウィングをイメージさせるだけで余分な説明は不要になる。)

明確に言葉にしなくても改善できる選手は、PDCAサイクルなど知らなくても効率的に改善していくことができる。
これはスポーツで培ったものを仕事などで応用しようとした時に作業効率化において時間がかかるものになる。
さらに言えば、自分を分析して改善する習慣がある人と感覚でやっている人では大きな差になってしまうということもある。

スポーツをするにあたって意識できるものは限られているのでPDCAサイクルを意識するかどうかは選択する必要もあるだろう。
スポーツ選手が就職で有利になるということで利用したいのであれば、PDCAサイクルを意識する必要がどこかであるということだ。
これは PDCAサイクルでなくてもSWOT分析などをスポーツに利用している場合でも同じだ。

選手たちがビジネスで応用できるものを利用しているという知覚行為がどこかで発生する必要がある。

なぜPDCAサイクルを利用したのかというと、ビジネスで使っていることから、親近感がわきやすくなり、採用側へ共感されるものになりやすくなる。
スポーツが健康に役立つだけでなく、自分の立てた目標に全力を注ぐことによって、遺伝子による優劣だけで努力が無駄になることを防ぐという側面を持たすことができる。

これは、PDCAサイクルである必要はない。
SWOT分析でもよければ、KPI分析をスポーツに利用したということでもいいだろう。
ビジネスで利用されているものをスポーツで利用するストラテジーマネジメントに使用することが重要になる。

 

数字を含めた明確な効果についてはビジネスだけでなくスポーツの世界でも求められつつあるのだろう。

 

以上、意識してこそ役立つものについて考えたことでした。

ケースによって使用する限界。

「限界を自分で設定するな」という響きの良い言葉を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。

この言葉が意味するものは、様々だ。
限界を自分で設定することで成長できたにもかかわらず、
途中の目的までの部分で終わらせてしまい、成長ができないためという解釈を私はしている。

ところが限界を知らずに設定する目標ほど実現可能かどうかわからない部分がある。

実現可能な目標設定は何度かの挑戦によって現実味を帯びてくる。
それが失敗という少し強めのスパイスによって目標の設定がうまくいきやすくなる。

確かに成長する機会があるのにも関わらず見逃してしまうというのはもったいないかもしれない。
自分のできる範囲のみでしか目標を設定しないというのは、成長志向が好まれる社会から逸脱しているように感じる。

しかし、限界を設定されていない目標の場合確実性を欠く。
仕事で確実に相手の満足を得る必要がある場合、自分のできることの限界を知っていることは必須になる。


限界について言えば設定していい局面とそうでない局面があるということになる。

また、ここで考えて欲しいのはもったいないから限界は設定しない方がいいという意見についてだ。
目的がないのにも関わらず、成長することを望んでも得られる結果は期待したものに足りない可能性もある。

国の経済のように停滞となりつつあるにも関わらず、斜め上の成長を目指そうとしていることに似ているかもしれない。
ここで言いたいのは、目的を意識した現実的な成長を目指すことが好ましいということであって、成長を望むことが悪いということではない。

というのも意識せずになんとなく頑張れば良い時代よりもモチベーションが保ちにくくなりつつある。
その背景は様々だ。
人口の減少、成長の停滞、経済への期待値の低下などあげていけばきりがない。

だとすればどのようにすることで成長意欲が湧くかということになる。
ここで使用できるのが現実的に達成可能な目標設定ということだ。
ただ、リスクばかりを考えすぎて成長しなさすぎるのは自分の身を危めてしまうことになる。

成長志向もリスク思考もいい面もあれば悪い面もある。
それはやはり使いどころなのだろう。

何を持って成長なのかということも考える必要があり、
限界の設定は、意識と目的の延長線上にありそうだ。

以上、限界について考えたことでした。

動画と検証方法

スポーツプレイヤーにとって憧れのスター選手の真似をしたことがあるのではないだろうか。

間合いや仕草なども重要だが、もっと重要なのは細部のチェックカテゴリーをどのように形成していくかになる。

例えば、野球の守備の時に打球のタイミングを合わせる動作がある。
スウィングしたバットがボールに当たる瞬間に少しジャンプしていることに気がつくだろうか。
このタイミングを合わせる動作には他のスポーツ競技でも共通している内容がある。

私が確認したトップ選手では、バドミントン、テニスなどもしていた。
つまり、何かに反応する時に人は共通した動作をすることが確認できた。

この一般化することが運動動作のコツになる。
テニスでは、サーブをする時にタイミングの合わせ方には個人差があるもののラケットとボールの当たる瞬間に軽くジャンプしている。

フェデラー選手がサーブする瞬間の錦織選手は軽くジャンプしていることを確認してほしい。

www.youtube.com



人が反応することには共通の動作があった。
野球に関して言えば真似をすることは、守備の一部だけを真似るということでは足りない。
真似るのであればモーションで真似る必要がある。

真似る要素の1つが腰の低さであったり、先ほど述べたタイミングを取る時に軽くジャンプをすることになる。

真似る努力をしている人は大勢いるかもしれない。
プロの選手の捕球体勢を一部分真似ることも確かに重要なことだ。
とくに高校野球などの練習などでは捕球体勢を維持する練習が多く見られる。


ここまでで理解できたかもしれないが、腰が低いということは打球を取るための条件の1つであって、努力して真似る部分は他にもたくさんある。

打球を捕球するため真似る目的の方向性に着目した時、打球をとるために真似ることは捕球体勢を維持することだけではないということだ。

 

「真似る」という言葉の意味は、個人によって異なる。
大切なのは、自分の目的が真似ることで達成されたのかという検証が必要になるということだ。

捕球体勢において真似て似ていても打球が捕れなければ、芸以外に使いものにならない。
もちろん芸にすることが目的ならばそれでいいのかもしれない。

プロの動画を見るときに考える1つは、検証プロセスをどのようにするのかということだ。
チェックするカテゴリーを自分ができていれば除くことが必要になる。

当たり前のことを言ってはいるが、捕球体勢ができている選手は多くても捕球体勢維持の練習が除かれないことがある。

練習らしい練習をすることが好ましいのかもしれないが、一度捕球体勢ができればあとはタイミングの問題になるため捕球体勢維持の練習はあまり好ましくないだろう。

捕球体制維持の練習はきつく罰ゲームに使用して、緊張感を発生させることが目的になっていることもある。
目的が達成されれば良いが、捕球することだけの目的ならばすべき練習は他に発生しているように感じる。

これを読んでいる方はプロの動画を見るときにどこに注目しているだろうか。
真似る時に検証チェックをするカテゴリーについて考える時間はあるだろうか。

私たちは一度つくりあげた自動認識システムによって、これらのチェックをおざなりにしやすい。
このことを前提にして真似るという練習行動を今一度確認してみてほしい。

 

以上、動画と検証方法について考えたことでした。