工夫するという概念へのアプローチについて

工夫することについて様々な方法があります。
メタ認知や教わることと独学について述べた点もこのことに該当します。

 

 

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自分のプレースタイルができて工夫するという意味合いが把握でしやすいかもしれません。

[テニスのプレーにおいてサーブが打てるようになった]という状態の選手がいます。
テニスを始めてから3ヶ月しか経っておらず自分で全力のスピードを重視したサーブがまだできないとします。
この選手に対して、プレーの工夫をメタ認知として確認することを細かく説明しても、把握が難しいかもしれません。

 

サーブを打つ瞬間力が入っているというアドバイスを受けて、以下の動画を確認しました。

例えば、以下のような動画があります。

www.youtube.com

参考にフェデラー選手のプレーも確認してみます。

www.youtube.com

何が重要なのでしょうか。
「力を抜く」という意識を処理として把握して考えてみます。
例えば、対象の選手は、ボールのインパクトの2秒程度前に腕の上腕三頭筋や長掌筋付近の筋力への力を入れて握力で測定するグリップの力を加えたとします。


インパクト時に力を入れる」という言葉の意味でアドバイスにしたかった場合どのように変化することが望ましいでしょうか。
様々なものがあります。

  • - 自身がジャンプするまで、ラケットを強く握らない
  • - 簡単に割れる水風船を利用してスイング時の力を入れる動作をリハーサルさせ、どこで力が入っているのか確認させてポイント覚える。
  • - 握る動作と振り切る動作を分けて考える練習をして、自分の感覚をポイントとしてではなく無意識で使えるまで反復させる。

 

このことで一番のポイントなのは、言葉の認識と実行される動作はどのような練習パッケージを経験しているのかで異なるということです。
これはどのように意識してきたのかでも違います。

テニスを始めてから3ヶ月しか経っていない選手に、工夫についてアドバイスを述べてもどのようなプロセスでどれだけ行うのかということを考えることが難しいことがほとんどです。

教える方は、選手がどのように言葉を把握して、実行して行くのかということを理解することが重要でしょう。

また、このことに関してどのように利用するかも時に明示的に伝えることも重要になることもあります。
これはサーブについてでしたが、リターンする際のステップや姿勢などでの工夫へのアプローチにどのように利用するのかについてもどこで伝え、教えないケースも利用し、時にその現象について説明をさせて再現させてみることも有効です。


では、「そのタイミングはどこで伝えることがいいのか」という問題を知りたい方は多いかもしれません。
これは、選手が体験した練習の内容、運動をイメージから自身で再現するまでフローの個人差があり、人の処理構造を把握しなければ厳密に把握することは難しいものです。

そのため、選手の行動を現象として把握し、工夫という言葉の概念を練習というパッケージの方法パタンとして細分化することで再現性を高めることわずかではありますができると考えます。


私が選手だった頃よりも、スポーツのコンテンツは様々にあります。
雑誌の連続写真などを参考していた頃よりも環境は恵まれたものだと考えます。
結果のあるモデルはある程度存在しているので、それをどのように利用するのかという問題へ変化しつつあります。

運よく私はそのことに気がつくことができたのかもしれませんが、
それが運ではなくなる日もそう遠くなさそうです。

工夫することそのものは平凡で、結果それ自体が大きな功績を残すことはあまりありません。
これを知識として把握していることは、普通のことだと考えるようになります。
人の知識について、自分が体験している文字が並んでいるケースと並んでいないケースでは認識しやすさなどが違います。

この文章がスポーツであった場合と英語における文字への理解処理が国単位で異なりそれが言語形成概念への影響によって違うためコミュニケーションの文化差異を工夫するという場合では、理解しやすさも異なるでのはないでしょうか。

 

もし共感していただけるのであれば、普通という認識はそこで処理を終わらせることがほとんどだからかもしれません。

人の改善行動を処理としての認識し難い部分もありますが、普通という認識の処理の形成かもしれません。

そして、そこに工夫することが価値が存在します。

どれほど、高度な技術が存在したとしても、工夫の概念における再構築を前提にしたとき、いいかどうか別にそのことについて考え続ける必要があるのかもしれません。

 

以上、工夫するという概念へのアプローチについてでした。

環境を整えることと意識すること

環境を整えることには、多くの人が関心があることだと考えています。

東大へ行くための環境
プロ野球選手になるための環境
家の仕事継ぐための環境

色々なイメージがあるのではないでしょうか。
環境決定因子については様々な考え方があります。

環境決定論などはその極論かもしれません。
参考

環境決定論 - Wikipedia

 

というのも言葉の認識と接続のイメージについては、人の行動を決定してしまうほどの影響があります。
人は自分が体験し直近の内容について考慮しやすいということは容易に想像できます。
ただ、それがどれほどの差なのかについて理解していません。
調査するために定義できる内容が少ないことや再現性が難しいことが考えられます。

環境における大きな要因は、意識することの内容だと考えます。
では、「何を意識するのか」ですがこれについては、以下の点です。

 

  • プレーの詳細について言語化していること(明確でなくても部分的に意識できる言葉であること)
  • 自分自身と目指す目標の差
  • モデルとなるプレーについて把握しやすくなる。

 

このことが意味することは、いくらパッケージ化された環境を用意したとして、
対象となる人が記憶への接続因子を所持していなければ、価値は発生しにくくなります。
メタ認知などはその例だと考えます。

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なにが言いたいのかというと、用意した環境に対して結果から改善することができなければ、
環境を用意することが徒労になってしまうということです。

話を少し分解してみます。
例えば、ゴルフをうまくなってほしいとしてスウィング軌道の参考プレーを動画で確認します。

飛距離の出るプロ選手のスウィングをみることができたとして、
どこが違うのか理解できるかどうかは、体験や自身が持つスキルと比較できる必要があります。
フォロースルーを参考することというプレーへの改善策をプランニングしたとします。

ボールをミートする時にポイントとして右に曲がる癖があるのであればそのことを計算して、
どこでどのようにすればいいのか考え、ボールが自分の思い描くような回転と弾道で飛ぶかをコントロールすることを考慮する必要があります。

選手自身が、その練習と修正のプランを自分自身で把握しなればなりません。
そこで必要なのが、明確に言葉で定義することになります。
ボールのインパクト時に手首を押し込むようなイメージを利用することや、ボールを打った後にクラブを離して投げてしまうなどの練習も考えることができるかもしれません。

重要なのは、プレイヤー自身における動作とプランにおける検証をより明確にすることができるかどうかです。
これはわずかな差ではありますが、1年の連続にした場合大きな差になります。

有名大に行くために環境や、プロのスポーツ選手になる練習法などの様々な本やコンテンツがありますが、
それは、同じような環境を整えたとしても「何を意識しているのか」で異なります。

 

 

プロのスポーツ選手になる練習法を利用したとしても

「言われたことをこなすための練習」
「試合のために行う練習」
では違います、はよく言われています。

「結果につなげるために自分で修正しながら利用する練習」を選手自身が理解し、
自分自身でプロセス化し実行するために必要なことが環境に備わっていることがポイントだと考えます。

 

プレイヤーが所属する集団など環境によるモチベーションの変化こそハードルかもしれませんが、
環境に依存しない選択肢を増やすことは可能になりつつあるのかもしれません。
ネットの情報共有システムは、情報過多のデメリットを含めはするもののこれこそ「何を意識しているのか」で変化するものだと考えます。

高い目標の綺麗事呼ばわりは、簡単にできますが目標から現実への落とし込みは必要で、それはどこかで学ぶ必要があります。


希望学という内容でもありますが、小学校で夢を叶える確立は10%未満だそうです。

『希望学』:東京大学社会科学研究所

 

夢が大切、結果よりもプロセスが大切は、歯に浮くような綺麗な言葉で嫌われることもありそうですが、
暗黙の前提で大切だと語られることにも、意味がありそこに言語化する価値があるのかもしれません。

 

以上、環境を整えることと意識することについて考えたことでした。

常識は、みんな持っているという常識がもたらすもの

教えるときに自分と相手の常識が欠落していると困ったことになるという場面に出くわしたことはないでしょうか。
私は共通の常識がない前提でプレイヤーの動きから結果における状況を想定するようになってから苦労することがなくなったことを覚えています。

抽象的なので野球で考えて見ます。
練習方法について自分で改善する方法を持っている場合は、改善点や練習方法を与えるだけで効果のある改善を選手自身が導き出すケースもあります。
練習方法について自分で改善する方法を持っていない場合は、様々な視点について考慮する必要があります。
これは自身でどのように問題点をカテゴリー化するかなので以下参考にしてみてください。

 

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いくつか例で考慮して見ます。

空腹の人に魚の釣り方を教えることと魚を与えることについてはどちらが望ましいのかという問いがあります。
この場合は前者の方が望ましいと考えること多いかもしれません。

 

 

しかし、魚の釣り方を教えることと魚を与えることにも様々な内容があります。

魚にも種別があって、釣り方を教えても参考にならないようなケースもあります。
船を持っていない人にカツオなどの遠洋系の魚の釣り方を教えても利用できません。
船でポイントまで行かなければそれは魚の釣り方を教えても利用できないこともあります。

このことは物理的な要因であり誰でも周知していることのように見えるかもしれません。
これは、「場所によって釣れる魚が違い、魚によって釣る仕組みが違う」という常識があって成立します。

では、一度言われたことをして練習によって改善したということであれば、そのプレイヤーに練習方法を教えるとどのようになるでしょうか。
練習方法の確認ばかりで自分の練習の概念を確認することは難しいものです。

もう少し具体的にして見ます。

 

 

野球のスウィングにおいてタイミングをとるために効果的だという練習方法があったとします。
しかし、そのスウィングの前提として自分自身のスウィング軌道に問題点があった場合、自分自身のスウィング軌道の問題点も解決しなければなりません。

この場合、スウィング軌道の問題の解決が船を所持していることであって、タイミングをとるための練習が魚の釣り方という見方もできます。

なにが言いたいのかというと、物理的な差も脳内で意識することのポイントも解決策という同じ見方が必要になります。
どんな当たり前のことで、目で見えることの物理要因でわかると理解されていても、その人自身によって問題を解決するフローが確立されていて、処理が一定となってい場合気がつくことが困難になりやすいということだったりします。

知識の蓄積として常識となっていることで気が付きにくいこともその人自身が改善策としてどのようなフローを所持しているのかがポイントとなります。

常識かどうかが問題ではなく、プレイヤーが処理として改善策を確立していない場合それは誰もが理解している物理要因でも知識であり意識的な部分で解決するとしても同じということです。

常識は教えることのコストを削減してはくれますが、解決するフローをブラックボックス化するという見方ができます。


大雑把な例ですが、いまでは猛毒の水銀も秦の始皇帝は薬として飲んでいたので所持している知識と行動における意識の接続のフローは思った以上に重要なのかもしれません。

 

以上、「常識は、みんな持っているという常識がもたらすもの」について考えたことでした。

ジャイロボールを投げれるようになるまで

結論は回転だけであれば、多くの人が投げれると考えています。
「投げれる」を高校野球の試合で使えるようになるまでと考えると練習が必要です。

ジャイロボールは、空気抵抗が他のストレートと比べて少なくそれにより打者のタイミングを狂わすという認識です。

空気の抵抗などについては以下を参考にしてみるといいと考えています。

 

www.athome-academy.jp

 

私が投げれるようになったのは、サイドスローアンダースローオーバースローに関しては、回転をかけれるようになった程度になります。

人の構造上、最初からジャイロボールを投げることができるようなフォームをしているという見解がされています。
コントロールやとりやすさなどの点からバックスピンの投げ方へ変更するということもあり、ジャイロボールを投げることが難しいということになるようです。

野手への可能性や投球の安定などを考慮した場合、バックスピンの方がいいかもしれません。
そのため、一度獲得した投球フォームを崩して挑戦する場合など、注意が必要です。

さて、私がした練習はサイドスローの投球練習時に小指からリリースしてボールの回転軸を自分から見て中心が確認できるようにイメージしたことです。
厳密なイメージは、先ほど紹介したURL先のページのようなボールにおける気流のイメージでボールの回転軸が自分で中心を確認できることを意識して投げています。

大まかに試した内容は以下です。

 

キャッチボールでボールの回転を確認

バッティング練習で利用できるか確認と検証

(握りやリリースの変化と下半身の動かし方などを部分的に変更して試す)

実戦形式で無意識の状態で利用できるか確認

試合で使用

 

投げ方の説明などは、以下を参考にしていますが、様々な練習方法などは調査と確認をしてください。

https://www.amazon.co.jp/魔球の正体-手塚-一志/

 

言葉にすると簡単ですが、実際に安定したボールになるには習慣が必要です。
回転軸だけを意識して投げることは簡単ですが、体重移動を利用してボールにキレをもたらすことやフォーシームやツーシームなどへ利用するには、腕の振りが同じであることが撃ちとる確率が高くなる条件です。

サイドスロー自体の練習でも、カテゴリーが多いので自分でどのような軌道で練習すると安定するか試してみるといいかもしれません。

例えば、小指からボールをリリースすることとサイドスローのイメージが加わって練習しているときに利用するイメージになります。

これは当たり前ですが、実際に自分のリリースしているポイントがどこかでも大きく異なります。
練習している際に意識できるポイントは多くても3箇所程度だと考えます。

そして、実際にリリースする小指のイメージについてボールを腕と体の中心からの距離で考えたとき、腕がどのような軌道であるかでボールへのキレと打者が見やすいボールになる場合で違いがあります。

例えば以下の異なる条件で投球フォームを獲得した2選手がいるとします。

  • 身体に近い腕の場所をイメージして獲得している投球フォーム
  • 遠心力を考慮しないで、プロの選手の動画イメージをそのまま再現しようして獲得した投球フォーム

 

実際の運動時には運動と遠心力に近い力学が加わるため、どのイメージで投げている時にボールに対して威力とスピードがあるか計測してみるといいかもしれません。

実際にサイドスローでバックスピン形式の投げ方をしている状態とジャイロボールの腕の振りをして投げる場合でも、
少しのイメージで運動の結果は大きく異なります。
普段バッティングで顎を肩の上に載せてない選手がのせた場合とても違和感がありますが、他者から見た場合においてもわかりにくい差です。


ジャイロボールを回転軸と気流の変化という条件のみで考慮した場合投げれます。
本など、違うコンテンツで紹介されているボールは落ちるものだと表現されいるものもあります。
回転軸と気流の変化という条件で考慮した場合、浮いているように感じるボールも沈むように見えるのもジャイロボールです。

ただし、スライダーと定義が似ているため存在しないボールで、「スライダー」が抜けたボールという人もいます。

ameblo.jp

matome.naver.jp


それは、個人がどのように捉えるか、もしくは言葉の定義がどこで決定すべきかという問題のなので、ここでは言及しません。


サイドスローから投げやすいということから、回転軸とリリースへの注意をもとジャイロボールを投げたい場合にフォームを練習してみるといいかもしれません。

 


以上、ジャイロボールを投げれるようになるまでの意識した内容でした。

 

「この内容は確実にジャイロボールが投げれるものではありません。試す際には自己責任となるのでご注意ください。」

 

常識と変化の使いどころをジャイロボールから考える

 

今回は野球の話です。

ジャイロボールというボールをご存知でしょうか。
野球をしている人は一度は聞いたことがあるかもしれません。
では三振させるためにこのボールを利用することが好ましいのでしょうか。

アニメで取り上げられた内容です。

MAJOR - Wikipedia

 

アニメの話で実物ではありえないと考えている人がいらっしゃるかもしれません。

私は、中学から高校にかけて情報収集をして実際に投げれるようになりました。
回転軸と空気抵抗などの物理的な要素という視点からジャイロボールが存在しているという前提になります。

空気抵抗や実際にどのようにしてリリースするのかなど色々と試作したのですが、それは次回に記述します。

ジャイロボールについてのイメージは、動画を確認してみてください。
私の言葉より理解しやすいイメージだと考えています。

 

www.youtube.com

 

バックスピンのストレートを普通のストレートとここでは考えているのでその前提で考えていただけると幸いです。

高校まで、ジャイロボールはストレートという認識でした。
大学で、「ジャイロボールは変化球」という言葉を聞いてから認識を変えました。

情報収集でアニメの影響が強かった私の前提知識の問題かもしれませんが、
ストレート自体も様々なものがあります。

落ちるものやアンダースローの人が投げる浮くように感じるものまで様々です。

回転数が少ないものや、ツーシーム気味に変化するものを利用しているものなど様々です。
自分が所持している情報により普通を形成しているということを把握する機会だったとも言えます。

ジャイロボールを普通のストレートのように見せることのメリットは、相手のストレートの概念とイメージを利用して打ち取ることになります。

ジャイロボールの特徴は、バックスピンのストレートよりも空気抵抗を受けにくく、振り遅れることが多くなります。

バッターが何百回も練習て刻み込んだストレートのイメージと体験を狂わすことが目的です。
しかし、バッターも慣れてくるので終盤になるとリードの問題になり、慣れたことを利用することが重要になります。
ジャイロボールもバッターが打てない魔球ではないということです。

再現性のあるボールでなければバッターを打ち取ることに利用しにくくなり、再現性のあるボールはバッターも認知能力で学習することができます。
ナックルのように、空気抵抗とボールの縫い目を利用するのであればボールのリーリースする瞬間に放たれるボールをみることのできる視力と、空気抵抗をどのように計算して打つのか把握できる能力が必要になりますが、それは現実的に難しいでしょう。

ジャイロボールもリリースのポイントがずれるとシュートやカットボールと同じような状態で変化しますが、安定してコントロールすることは変化球になるでしょう。

ストレートという言葉の概念ですが、それをどのように把握しているかを利用することで私たちは、戦略に利用することができます。

 

羽柴秀吉備中高松城の戦いのように、相手の常識を覆すことを戦略にして勝利した武将は多く存在しますが、相手の常識を前提にしているものは多くあります。

しかし、自分自身の常識について確認し、それを変化させることができていれば奇襲には対処することができます。
それでも、常識は変化しても現状を維持することを好むというのも人の条件と見ることができます。

「常識は変化するもの」と「常識を変化させる」には大きな隔たりがあるということになりますが、それであれば、感情で対処する部分と自分の行動を物理的な概念で把握することが必要なのかもしれません。

では、「感情で対処する部分」と「自分の行動を物理的な概念」とはどのようなことでしょうか。


ストレートの概念が複数あるとすれば、「感情で対処する部分」と「自分の行動についての物理的な概念」も人の数ほどあります。

どのように定義してそれを応用し使うのかという目的が重要です。
それは変化球も同じで三振を取るためにジャイロボールを使うのか、スローカーブで三振を取るためにジャイロボールに使うのか、という使い所の問題なのかもしれません。

 

それは、サッカーやバスケットなども同じで攻撃のリズムなどにも規則性や練習で刻まれたパターンが存在します。

スポーツのゲーム型によりますが、自分が持っている常識と相手の持っている常識の比較の利用について考えてみる機会になれば幸いです。

 

 

 

「意識する」を「教えなければならなくなった」と「教えれるようになった」

私は、体験とイメージとテキストでしか現状を比較できないと考えています。

多くの人の悩みとして「そこまで教えないといけない」ということはどこでも聞くかもしれません。
これは、自身が教えずに学んだことを前提にしているから出てくる言葉ということが考えられます。

最近では、研究の成果や興味の高まりから「意識する」ことの重要性は色々な場所で語られます。

その内容をどのように考えるでしょうか。
スポーツで「意識する」という言葉に関しては注意することという意味合いが強いですが、それは細分化して言語化することについてどれだけしているでしょうか。


例えば野球で打つときにボールを意識して見るはどのような動作を示すでしょうか。

手から放たれたボールを見るという言葉を使うかもしれません。
最近では周辺視野を利用していることがわかり、「ボールを投げる肘付近」を注意して見るということも利用されています。

つまり、ボールというモーションの動きをどのように意識するのかという言語化をどこかで必要になるということになります。


「昔は教えなくても良かった」という言葉を聞くことがあるかもしれません。
このケースについては「教えずに学んだことを前提にしている」か「どこかで学習していた」ことになります。
様々なコンテンツがあり、自分で学ぶ機会というのは少なくなっています。
自分で学ぶフローが存在しており、それを実行する過程を獲得させることがどこかで必要かもしれませんが、
それを自分自身で学習することはコストになります。

効率的には、教えるコンテンツを用意してそこから学ぶことの方が考えることが少ない上、計算も少なくてすみます。

では、料理をするケースではガスコンロの使い方を自分で学ぶことはあるでしょうか。
学校や家の人が教えてくれますが、危険なため自分で学ぶこと少なく学習する過程をパッケージ化した方が効率的になるということは多くの人が理解できるのはないでしょうか。


極端な例ですが、「意識する」も同様です。
知識や情報量、危険度などの条件が異なるだけです。

スポーツでも、教えることのパッケージ化は必要ですが、自分自身で工夫して調整するということも必要になります。
そのために、自分自身で学習することについて概念を形成することも必要になります。


「意識する」を教えることができれば、それは他のスポーツからすると理解しやすく差別化になるのかもしれません。
「教えれるようになった」ことは化学的な部分でいえば、発展した結果とも捉えることができます。
昔ながらの指導もメリットはあるかもしれませんが、自分自身が楽しめるまでに簡単に学習できるようなスポーツの方が楽しめるという予想は、大方できるかもしれません。
その場合、スポーツの選択という部分で回答を多く持っている側の方が有利でしょう。

「教えなければならなくなった」は教える側のコストではありますが、それ自体はプレーヤーからしてみればポジティブな部分でもあります。
上達することについては、個人個人で楽しみ方は異なりますが「教えれるようになった」部分をうまく活用して、チームを強くすることを考えれる方が現状を前提とした時に好ましいのかもしれません。

そのイメージの裏にある暗黙の知識を探るタイミング

暗黙の知識を探ることのメリットは、いろいろな場面であります。

ゴルフであっても「トップの位置が低い」というアドバイスがあったとします。
しかし、トップという基準において低いから高くするという意識は、常に働きます。
教えた人がちょうど良い高さになっても高くする意識を持っていた場合に高くなります。

私も小学生の頃にソフトボールをしていて
「肩が上がっていて力が入っている。」
という言葉をもらったことがあります。

しかし、力を抜いてもヒットが増えたことはありませんでした。
このことが解決されたのは中学生になってからになります。
バットの通るスウィングの軌道を改善させることでヒットの数は変化しました。

つまり、
「肩が上がっていて力が入っている。」
の意味は、その伝達者自身が所持しているイメージから伝えたことになります。

そしてそれを本当の意味で理解したのは、22歳になってからです。
大学で身体組成における構造を理解し、心肺機能や体の構造上における適切な肩の位置とトレーナーの知識を把握した大学での知識によって言葉の概念をようやく理解できるタイミングになりました。

私自身、身体の構造上力が入っているように見えるのであって力が入っているかどうかは別だという結論に至りました。
もちろん、緊張によって力が入っているときもありました。
しかし、「肩が上がっていて力が入っている。」については以下を確認する必要があります。
・力が入っている状態とは、筋力などでどのような状態であるのか
・肩が上がっている状態でヒットが打てないかどうか

肩の力を抜き、他の選手と同じような肩の位置にすることでヒットが打てるという解釈をしてしまったことになります。
暗黙としてアドバイに含まれるイメージと知識を自分のイメージのみで解釈していたことが要因です。


前置きが長くなりましたが、暗黙知に対しては自分の目標の優先順位が高ければ高いほど、探るパターンとそれを繰り返す周期を確認して実行することが必要になります。

私の場合、「探るタイミング」については打席に立つ回数を基準とした経験を少なくとも1年は必要としていました。
これは、「肩が上がっていて力が入っている。」を工夫して打てない状態を意識してからです。

「探るタイミング」におけるカテゴリーは、以下を考えて見てください。
・経験
・知識
・改善したケースと内容
・基礎身体能力

「探るタイミング」としましたが、それは自分における体験と知識を組み合わせて定義化することが望ましいという結論になります。
私の経験よりも、プロの選手や有名な指導者の経験を聞きに行き、もし言語化していなければそれを言語化する質問を考えて、聞くなどするといいかもしれません。


基準値の設定について、自分で取り入れる際に注意した方がいいことは、成果と検証について自己で暗黙に設定しているので、それを意識的に利用することが必要になるということになります。
新卒の研修などでも、指示の概念における抽象性をなるべく少なくすることは行われているので、それは社会で働く時にも応用できると考えます。

もちろん全てにおいて、その基準値を定義化して明確にするのはコストなので、明確にすることも部分的に必要な範囲を決断することが必要です。


アドバイスなどでモデルとなるイメージの裏にある暗黙の知識を探るタイミングとは、自分で優先順位を決めた上で、時間を利用して選択していくことになります。

それは理解しているという意見の人は多いかもしれません。
では、以下ついて考えて見てください。

走ることは、足を上げることですが、「足を上げる」とは物理的にどのように上がっているのでしょうか。
これは多くの人が漠然と「足を上げる」ことと把握しており、感覚として上にあげるというイメージを持っていることが多いです。

ですが、よく考えて見てください。
計算上で、50kgのバーベルを持ち上げる人と20kgのバーベルを持ち上げれる人では、同じ足を上げる角度であげた場合に大きな差が生じます。
もちろん、個人の感覚や体重の移動のうまさなどで差があるため一概にはどれがいいのかは言及できませんが早く走るためのベストな「足を上げる位置のイメージ」があると考えられます。


暗黙知については、教える人の都合や感情、時間の限界など様々な要因があります。
定義されている社会は過ごしづらいですが、一分の安心を与えてくれるのもまた事実でもあります。
それすらも暗黙で私たちは、問題を体験するようになりようやくその一部を意識し始めたのかもしれません。

以上、「そのイメージの裏にある暗黙の知識を探るタイミング」についてでした。