過程を大切にすることの意味

前回
過程を大切にすることの意味については次回に言語化してみます。
と言ったので言語化してみます。

「結果ばかり重視している」などといいう言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。
これは逆から考えると過程を大切にする価値があるということになります。

しかし、過程が重要という理論を語る人に私自身あまり出会ったことがありません。

視点を変化させて考えてみましょう。
結果主義におけるアメリカ的なインセンティブを重視した考えは、
家族経営的な日本には合わないという言葉を聞いたことがあります。

これは、結果だけでなく過程を評価すること、
努力した点も評価の対象にするというような見方もできます。
成果に直接つながらなくても評価するという点でモチベーションの維持に繋がりやすいなどの利点があります。
どちらがいいかについて長期的に成果につながったことを評価したなどの見方があるのでここでは言及しません。
成果主義ではない点は学校などの影響もあり文化的な側面も強い印象を持ちます。

スポーツについて考えてみましょう。
スポーツにおいて過程を大切にすることは努力を評価することの意味に近いと考えています。
しかし、スポーツでレギュラーを目指すにはあまり努力は関係しないケースが多いです。

もちろん、頑張って試合の出場機会を確保するという部分から評価されたということはあるかもしれません。
ただ、勝利を目標にするのであれば努力したことばかりが評価されるのは好ましいとは言えません。
また、スポーツそのものもある程度の結果にならなければ、継続して努力することは難しくなります。

過程を大切にするためには以下の条件が必要になるでしょう。
結果につながること
評価基準が選手全員の批判とならないように設定されていること
過程の評価された選手が納得できるもの

過程を大切にすることの意味で最重要視されるのは、「温かみがあるから」という印象値よりもどのように結果につながったのかを証明できることにあります。

これは再現性のある結果を生み出すことができることを目的にしています。
何度か結果の良い試合になったとしても、それを目的とする大会で利用できなければ価値となりにくいものでしょう。
もし、これを読んでいる多くの人が改善することを目標の前提条件としているのであれば、これまでの言葉よりも大切にすることがあります。
ここで確認しておきたいのが「過程を大切にすること」においてテキストに価値があるのではありません。
今までの習慣となっていることから何かしらを変化させることで、結果になったプロセスをデータ化ないし基準化することでこれまでの成果を上回ることに価値があります。
もちろん環境は常に変化するので、試合の勝率を維持することは評価に値するケースもあります。
(環境が変化すことで、自分たちも変化したことによる現状維持など、評価されるケースは様々だと考えます。)
環境因子、対象となる相手、自己の要素などから考慮して適切な評価基準を形成する必要があるでしょう。

過程の評価基準には、気をつける必要があります。
それはチーム全体のモチベーションに関与するためです。
仮に野球で毎日個人の練習で、チームの全体が認める練習量をこなしていたとしても打率1割未満で全試合の出場機会を得ることになるというのは、勝つことを目的とした選手にとっては不満になります。

結果や機会、過程のためにしたアクションなどから考慮して決定する必要があります。

そして、過程を評価される選手自身は、それが自分のしてきたことに見合っているかもモチベーションの維持に関係してきます。
もちろん、説明しなくても良いケースの方が多いですが、わずかでも結果につながっていることが前提ですので過程の評価された内容は評価する側が理解している必要があるでしょう。

過程を大切にすることに関しては、誰が使用するかで目的も使用方法も変化します。
今回は、全体的な部分から大まかに説明しましたが、個人と組織で大きく異なります。
過程を大切にすることはスポーツでも会社でも家庭でも機会があるでしょう。
一度自分にとっての過程の意義をプロセス化しておくことはいいかもしれません。
人は合理的であろうとする存在であって、合理的でない決断を部分的することがあります。
それが、望ましい結果をもたらさないケースもあります。
今回の過程の大切さにおいてプロセス化することが求める結果の一つのピースとなれば幸いです。

以上、過程を大切にすることの意味について考えたことでした。

理解した上でどのように選択したいかまで設計すること。

科学的にいろいろなことがわかり、それによって改善されていることはたくさんあります。
スポーツなどは、水を飲むことを禁止していた20年ほど前からすると体幹のトレーニングまで様々なものが変化してきました。

高校野球でさえ、タイブレークでルールも変化しつつあります。
常識や認識が変化していくことは、前提となる知識が変化していることからすると当たり前なのかもしれません。

ここで少し考えてみたいことがあります。
「スポーツには、忍耐が必要でしょうか。」
忍耐という言葉のイメージが良くない人もいるかもしれません。
では、スポーツのスキルを向上させるためのきつい練習は必要でしょうか。

この質問になるとプロのプレーヤーを目指すのであれば必要と考える人が増えるかもしれません。
「忍耐」という言葉に違和感を抱いた人に関しては、昔のような論理性のないやっておけばいい練習をイメージしたのかもしれません。
昔のように、しごきのような適当に実行するだけの練習はなくなりつつあります。
もちろん選手が求めるのであれば、しごきのような練習メニューをとりいれたいという人はいるかもしれません。
試合におけるプレーの安定につながるのであれば、それは必要な練習になるでしょう。
ここで考えることは、スポーツのスキルを向上をさせるための練習の必要性と目標の設定における決断になります。
人のメンタル部分が変容する変数である限り、スポーツの練習に絶対的なく正解は微妙に変化して、定義化することは難しいでしょう。

さて、この言葉の違いによって生じた問題ですが、簡単にするとどこまで練習の強度を上げる必要があるのかということになります。
試合でのパフォーマンスがきつい練習をしたことによって上がるのあればある程度の厳しい練習を肯定せざるをえません。
ですが、現状は人の休息におけるパフォーマンスの向上は科学的に証明されているので、文化的な側面における常識の肯定によって
価値のない厳しすぎる練習はある程度淘汰できるかもしれません。

さてここからが本題です。
科学の発展、情報の共有化の進展によって、様々な情報を手にすることができるようになっています。
メンタル面のことや、身体面のことなどを詳細まで理解した上で選択することを設計していく必要があります。

先ほどの練習のことで言うと身体面のことを考慮した場合休息すべきでも、メンタル面の強化を考慮した場合練習を継続した場合が良いなどが例になります。
最近では、いろいろな研究結果によって様々なことがわかりつつあります。
限定的な条件のケースもありますが、これはこれからますます進展していくでしょう。

これからは限定的な条件を考慮して、練習がマネジメントされているか理解した方が好ましいでしょう。
デスクワークでも座り方の意識によっては腰痛になる人もいれば、そうでない人もいます。
遺伝子の骨格的な部分もあるのでもちろん座り方の意識だけでは改善できない部分もあります。


これまでのことは理想であり、指導者に恵まれない場合もあります。
その場合は選手自身が練習の意図を理解して練習を設計するしかありません。


様々な情報を得ることができるようになった今、何が正しいかよりも、目的によって何を選択しているのかを過程から把握して行動していくことが必要になります。
これは再現性のある行動をすることが目的にしています。
過程を大切にすることの意味については次回に言語化してみます。

このことはおそらくどこか違う文章で描かれていることになるでしょう。
この文章を初見だった人もそうでない人もそれからどれを選ぶのかと言う点で、
様々な選択肢を理解した上で選択を設計してみてください。

そういった意味で、選択に価値が生じるのだと個人的に考えています。
昔は、きつい練習をするから技術も向上するという思考だったのかもしれません。
ただ、今はきつい練習をすることだけが勝利に結びつくということでもなくなりつつあります。
情報が増えて選択できるようになったことに価値を加えれるかどうかがこれからのポイントとなるのかもしれません。

デフォルトが決まる状態

自分が持つ基準の情報がどのようにして設定が決まるのかということを理解している人はどの程度いるでしょうか。
最初に知識から得たイメージや過去の体験したことなどから私たちは行動するための判断基準を設定しています。
判断基準の設定に関しては行動経済学や心理学などを勉強すると分かりやすいでしょう。


問題はここからでこのことを理解しているからと言って何の役に立つのかということになるでしょう。
デフォルトが決まるということに関して考えて、問題の理解をどのようにしてとらえるのかということになります。

スポーツの競技種目の選択について少し考えてみます。
陸上選手がいます。
その選手は、短距離選手ですが出場種目で100mで出場した場合6位以内に入ることはできません。
そこで指導者から「表彰台に登れるハードル種目で出場しないか?」という打診がありました。
しかし、そのプレーヤーは「100mの方がカッコいいから100mに出場する」という返答でした。

個人の思い出や進学の時へ有利になるものとするのであれば、ハードルの方がいいかもしれません。
もし、プレーヤーの形成されたイメージを変更させたいのであれば所持したイメージの変更をする必要があります。
具体的なものだと、オリンピックのハードル競技やハードル選手のドキュメンター番組を見せるなどの方法が考えられます。
しかし、相手のことを考えずこちらが設定した内容だけで所持している価値観や言葉の概念を変更することは難しいことでしょう。
そこで必要になるのが、デフォルトのイメージがどこで形成されているかということになります。

過去に見た漫画やアニメを見てスポーツの選択におけるイメージの形成がされているのであれば、ハードル種目の選手が登場するアニメを見せることやプレーヤーにとって価値形成になる人から助言してもらうことなどが考えられるでしょう。

親やスポーツの有名な人から助言されることなどによって、スポーツの選択基準へ何らかの影響が期待できます。
選択の基準となるような影響を及ぼす関係の構築が前提となっているので、この場合は親族や指導している専門の人になるかもしれません。
年齢も関係していて、先ほどのエピソードは小学生のものであり、そのため進学先などよりも「かっこいい」というイメージモデルが優先されたという推論ができます。

これはスポーツに関してですが、勉強などにおいてもどのような価値基準が設定されるかについても同様です。
親がどのような環境を整えるかという環境決定における情報操作とも言えるかもしれません。
言い方を考えれば、「子供の将来のことを考えた環境」でしょうか。

ここまででデフォルトイメージが設定される基準は以下カテゴリーと考えられます。

実際に行ったことが楽しいかどうか(前述から考えるとスポーツや勉強)
行った行動がもたらすインセンティブ(進学に有利か、結果によって承認欲求を満たすことができるのか)
選択対象者へ影響を持つキーマンとなる人物からの助言(ここでは対象のスポーツにおける客観的な評価など)
最初に体験した内容の前に所持していた情報
(ボクシングを始める前にはじめの一歩、サッカーを始める前にキャプテン翼、テニスを始める前にテニスの王子様、バレーを始める前にアタックナンバーワンを見ていたなど)


ここに記載したことはあくまで簡単に私がカテゴライズしたもので、もっとカテゴライズされているものもあります。
心理学や行動経済学要素のものもあり、ZMETなどで利用されています。
さらに詳細を知りたい人は勉強してみるといいかもしれません。

このことは理解できることだと思いますが、実際に利用するとなるとハードルが上がります。
先ほどの短距離走のプレーヤーであれば、「ハードル走に出場した方がいい」と発言してしまうかもしれません。
ですが、アドバイスが有効になるにはプレーヤーにとって「影響を持つキーマンとなる人物」である前提があります。
これには関係性の構築が必要で心理学におけるラポールの形成などが関係します。

いきなり柔道で大技をかけようとしても相手は身がまえてしまします。
フェイクを入れたり、前の試合の決め技を逆手にとるなどして小技で崩してからでなければ大技で1本は取りにくいものです。
そのためプレーヤーにとって選択基準の変更となる効果的なアドバイスにするにはいくらか条件が存在するということになります。
プレーヤーにとって「影響を持つキーマンとなる人物」になるためにはそれなりの関係性の構築や第三者から適切な評価を受けていることなどが前提になっています。
さらに言えばインセンィブやスポーツが楽しいかどうかということについても要素になるでしょう。

自分の設定基準について考える必要はないという意見もあっていいものだと思います。
将来考えらる報酬と自分の設定基準がもたらす行動基準についてこの文章が考えるきっかけになれば幸いです。

以上、デフォルトが決まる状態についての考察でした。

健康を維持するときに選択する基準についての考察

今日では色々な健康を目指すための文章を見かけます。
「〇〇ダイエット」や「〇〇健康食品」などのように色々な健康を願望とした文章を読むことができます。

ただ、結局は痩せようとする行動について考えると自分の意思を試すための試練でしかないように感じられます。
体脂肪を減すための知識は高校か中学校ぐらいの保険の教科書で基礎は学習します。

BMI指数などは聞いたことがあるのではないでしょうか。
【参考】厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト



ですが、特に難しいことはあまり考えることはなく、1日に消費するカロリーと摂取するカロリーの和がマイナスになれば良いのです。

その目先の手段として、「〇〇ダイエット」や「〇〇健康食品」というモチベーション上げる道具を使うということになります。
こんなものは知っているし、私の行ったダイエットや運動方法は他のものとは格別に違っているという意見は、ネットだけではなく様々な箇所で見られます。
もちろん、テキストの文章に対して、自分の信念や感情の移入によって物理的な効果以上となるものは否定しませんし、
それで自分が望む結果になるのではあれば利用すべきででしょう。

では、次に例について考えてみます。
健康食品について選ぶ時はどのようにして選んでいますか。
では次に健康食品の選び方ではなく自分の基準について考えたことはあるでしょうか。

味覚を含めて自分が健康でいることが幸せになるのか、痩せれるのか、血糖値を下げるのか、炭水化物を控えることができることなのか。
仮に自分が選択した食品が効果のあるものだとして、それはどの程度必要で、どのような周期で摂取すればいいのでしょうか。

物理的に考えると以下が大まかなカテゴリーになるでしょう。
どのような栄養物質を補給するのか。
どのような方法で摂取するのか。
摂取するタイミングはいつになるのか。

シンプルに考慮した時、後は文章や写真、自分が持っている記憶のイメージなどで食品を選ぶことになります。
健康になるための選択は普段自分が考えない行動の部分をどのように意識化するのかが重要になるでしょう。
実際に自分が健康を保つために必要な栄養素やその摂取方法が何か知れればあとは、意思とモチベーションと習慣の問題になります。

現在ではかなり多くの商品があります。
その中にはあまり消費者に好ましくないものもあるでしょう。
ただそれは、騙されないようにするというよりは自分の判断基準を作り、それを守るためにどのようにしていくのか考えることが必要になるということです。

理想は、消費者の判断基準によって効果のない粗悪な商品選ばれず淘汰されるところにあるのでしょう。
ですが、この意見はあまりに綺麗すぎるかもしれません。
もちろん願望と行動は独立しており、意思を持ったから行動するわけではありません。
中には、1日の限度量を超えたアルコールを摂取して、健康を維持するためのランニングしているという人もいるでしょう。
また、自分自身にとって有利な理由をつけることは、得意な人もいるでしょう。
例えばタバコを吸うことで健康を害することは知っていてもそれによるストレスで寿命が減る、
だから喫煙はしつつ健康を維持するという巧妙な理由付けなどで意思は簡単に変化します。

人は常に合理的には行動せず、制約のバリデーションのない意志もまた強固なものではありません。
このことを前提にした時、問題への解決策となる糸口は生まれるのかもしれません。
スポーツと同じで日々の習慣の連続でしか、より良い結果を得ることは難しいのです。
有名なスポーツ選手のプレーを真似してもそれを実行することは難しくコンディションを維持することを含め運動スキルを獲得した過程などから考慮する必要があります。
難しく考えすぎる必要もないとは思いますが、何か1つの行動だけで健康を維持できるというほど、私たちの体が簡単な構造だということも受け入れがたいものではないでしょうか。
理解はされたいけれど、私という人間はそんなに単純ではないというパラドックス的なものに似ているかもしれません。

健康を維持することに関しては、運動・睡眠・食事のバランスが大切になりますが、全て意識して生活することは難しいでしょう。
生活習慣を変化するには無意識への行動に変化させてから次の行動を獲得していくことになります。
スポーツでもこれは同じです。
意識下にある行動が無意識下へと変化することで次の行動獲得へと変化します。
テニスで言えば、最初はラケットでボールを返すことを目的しますが、それを無意識にできるようになれば、次はボールを相手が打ちづらい場所へコントロールすることに変化していきます。

結局健康を維持するのは普段の自分の行動を観察することになります。
よく有名な人が健康維持のためにしていることが取り上げられます。
それはその人の理論があり、努力の末にもたらされた結果ですばらいしいものでしょう。
これは私たちが「何を見ているのか」ということです。
私たちは何を見たのかと同じくしてどのようにしてみているのかも考える必要があるのかもしれません。

以上、健康を維持するときに選択する基準についての考察でした。

有名なプレーヤーが名指導者にならない理由の考察

結論から述べると感覚を磨くことと言語化することには、フェーズがあるから有名なプレーヤーが名指導者になれないケースがある
ただこれは人によってさらにカテゴライズされている。

物事を伝えるフェーズ状態は大きくわけて以下が考えられる。

・自分の運動を理解する。

・理解した運動の内容を一般的に理解できるように言語化する。
(理解できるような運動獲得の体験過程を理解させる)

・対象者となる人の言葉の概念などで理解しやすいものに変化させる。

・対象者が体験した直後に的確な言葉を理解しやすい形で提供する。


この4つのフェズ以外でも複雑化すればさらに多様なものにできるだろう。
伝える側だけの目線で考えた簡単なカテゴリーでも上記のようになる。

有名な選手が上手く他者へ運動感覚を伝えることができないケースはもちろん言語化以外にも理由がある。
遺伝的ないしは運動の獲得によって得た筋力及び腱付近の柔軟性が特殊であるために自らの運動を共有できないケースだ。
もし、スポーツ選手が他の競技者への指導で自分が成長によって得た体験を共有させたいのだとすれば、自分の運動の言語化は常に意識した方が効果的だろう。

もちろん、「相手にどのように伝えるのか」「理解できる言葉の概念イメージはどのようなものか」といったことも必要だ。
それはの言葉が相手に効果的なものになるには、場面と対象者の体験している内容によるからだ。
物理学者が使用する専門用語を活用してより詳細にスポーツ選手の運動現象を解説してもそれは他者が理解する体験にはなりにくい。
教える人は、対象者が理解できるレベルまで言葉を加工し、努力しても効果のない伸び悩んでいる選手に向上できるようなアドバイスとすることが理想的だ。

難しい言葉の方がより詳細に運動について理解を深めることができるものの、多くの人に支持される文章は読み手に負荷の少ないものだ。
これは現状の検索エンジンが検索する方法が得意でないユーザーに提供するコンテンツにおいて優しい文章になっていることに似ているかもしれない。
また、スポーツの指導において多くのコンテンツや指導方法がある中で、対象者の運動レベルに合わせて的確な指導方法を提供することはAIによって概念化されるのはまだ先の話だと考えている。


自分の運動現象を言語化できない場合は、他者に依頼することもスポーツ選手のマネジメント能力として必要かもしれない。
ただそれだと自分が伝えたいことを本当の意味で伝えることが難しくなる。
有名になった人の言葉がメディアを通すことによって自らが表現したい内容とは程遠いものになってしまうことに似ているかもしれない。

ただこのことは多くの人によって忠告されている。
本を読み自分の体験において言葉で共有する内容を広げることはたくさんの大人が「本を読むことがためになる」の1つの場面だろう。

だが、読み誤って欲しくないのはこの文章がトップのプロスポーツ選手が自分の運動現象の把握において言語化することをおろそかにしているということではない。
日々のコンディションの維持や加齢とともに変化するフィジカルのために解釈や見方を変化し続ける必要があり、自分の運動を言語化している時間はなかなか捻出することが難しいと考えている。

以前に理解したからといって、それを実現できるわけではないということを文章にしていた。
その逆もまた然りで、実現できたことを私たちは全て把握できてはいないということだ。
言語化することにも細分化すればレベルがある。
スポーツ選手の運動動作の言語化とは少し違うが、過去に話した人で相手が欲しいと考えているタイミングの情報を提供するスキルを持つ人はいる。
対象者によってパターン化している印象を持った。
それは営業、人材系の紹介のエージェント、カウンセラー、インストラクターなどはなし方やその内容は違っていても共通点があった。
相手によって自分の脳内におけるデータべーすから必要な情報を適確なタイミングで話せる共通点だ。
中には、それが苦手なのか自分の持っている情報を全て話そうとする人もいた。
それは、自分の主張したいことで相手に情報を整理させてしまう負荷が発生する。

自分の体験の言語化と相手に必要な情報を欲しい場面で提供できるスキルが名指導者の一部の条件なのかもしれない。

以上、有名なプレーヤーが名指導者にならない理由について考察でした。

生産性と練習による不安払拭


「練習をあれほどやったのだから負けるはずがない」という言葉は誰もが聞いたことがあるかもしれない。
試合で負けないためにメンタルの強化という意味で練習していることもあるだろう。
ゴルフであれば自分の得意なアプローチを試合で効果的なパフォーマンスにするために何度も入念に練習することだってある。
たとえ、それが原因で腕の関節を痛めてしまったとしても練習をしなかったことからの緊張によってミスするよりも後悔は少ないのかもしれない。
自分の納得のいく練習をすることがメンタル的にも安定してそれが一番良いのだろう。

だが、生産性という視点から考えると必要以上の練習は、パフォーマンスの低下につながる。
難しいのはこのライン引きだ。
自分の練習の成果が一番効果的な練習時間を理解しておかなければならないというのは効果測定について考慮する必要がある。
練習は嘘をつかないという言葉がある通り、いくら効果的に練習をしているからと言っても1日2時間程度の練習では、全国で勝つことは難しい。
私立などの強豪校などの多くが、通常の学生が勉強する時間を練習に使用している確率も高い。
圧倒的な量の練習は、質の高い練習を凌駕してしまうということもあるからだ。

さて、この議論については練習時間への価値観の問題をテーマにしているため、少し視点を変化させてみたい。
今までことから考えてみると人への練習効果は疲労と関連はしているけれども、メンタルの部分で補う部分が幅広く練習はするだけ効果があるというものになる。

精神的にメンタルの部分が、試合の結果に影響する部分は大きい。
だが、蓄積された疲労によって練習が意味をなさなくなる部分もある。
これらの前提から考えた時、試合で最高のパフォーマンスを発揮するにはどこまで練習すれば効果があるのか点を考える必要がある。

科学的に色々なことがわかってきつつある現在でも練習量の多い環境はどこにでもある。
休憩をこまめにすることで練習への効果などは上がってきつつある。
しかし、データは思ったほど少ない印象だ。
というのもこれまで練習を限界までしてきた昭和の時代から考慮すると1日における人の練習よる効果についてデータが普及していない。
このことは実はデータとして存在はしているけれども、確率的な部分も含めて私が探しきれていないだけかもしれない。

それでも野球では、海を越えた本場の国で球数を目安として投手の起用が行われている。
練習が原因で試合におけるパフォーマンス低下となるケースや怪我の防止のためだが日本ではまだ投げ込みによって練習している。
もちろん、どちらが良いかは価値観の問題に近く、議論よりも決断における要素がポイントだ。
高校野球の連投における美談のニーズから考えると球数制限がゲームのルールに加えられるのはまだ先の話かもしれない。

今回の内容はスポーツの練習における生産性についてだった。
これは練習における効果をいかに最大化するのかという視点で、仕事の効果をいかに最大化していくのかという思考の変化にもつながる。
具体化された例を抽象化して応用し、具体化することにあてはめる。
よく「ただやるだけの練習」と「意識する練習」は違うともいうが、指導者は練習の最後に少しだけ意識させるだけでも大きな違いになる。
社会でどのように使用するかをイメージさせる部分だけでも大きく違う。

例えば、野球の練習でタイミングをとる方法を個人で確立した。
自身の練習試合での打率を上げたことを監督に認められ、チームで情報共有した。
打撃練習でのヒット性の当たり数から練習試合での打率向上を考慮し、チームで全員がタイミングをとる方法を使用することになった。
これによって毎試合における得点率が、0.8点上がったとする。

あくまでうまくいったケースでしかないが、個人が方法論を確立し、マニュアル化した内容を社内情報として共有し利益を上げたことにつなぐことができる。
だが、これは評価されない場合もある。
会社の場合評価基準は組織で異なるからだ。

どこまで教えるのかは指導者によって異なるが、スポーツを利用して社会との接点を教えることはスポーツの価値を上げることができるだろう。
野球を例にしたが、野球はプレー人口が変化しサッカーよりも少なくなった。
どこにスポーツの付加価値を置くのかは各スポーツ種目それぞれだが、今後プレーヤーの獲得は人口減少が拍車となり難しくなるばかりだ。
スポーツのおける生産性の利用がスポーツの世界のみだけのものではなく、社会で利用できるものになればスポーツの価値は上がるだろう。
ただ、これは理想でしかない。
努力している指導の現場に生産性という言葉で考えるには抵抗を覚える。
このことこそ、生産性を低くしている原因の文化的な要素なのかもしれない。

 

また、練習における不安の払拭の代替案はメンタルトレーニングで可能にすることが科学的な進歩といえるのではないだろうか。
もちろん、無意識で動作するまで練習できなければ、勝つことが難しい競技もあり練習時間を短くすることが正義という意味ではない。
今のスポーツの世界は、明らかにやりすぎた練習で夢を諦めたアスリートの犠牲の上に成り立っているとも言える。
これが自分の知っていながらの選択なら後悔はないのかもしれないが、知識のない時点での行動は選択とは言い難い。
情報の認知によって少しでも満足のいくプレーヤーが増えることを願いたい。

 

 

以上、生産性と練習による不安払拭について考えたことでした。

スポーツにおける就職のアドバンテージが勉強を諦めることにはならない理由。

スポーツをしていた経験が就職に有利になることは問題がない。
スポーツができることを勉強のできない理由にしていいことに問題がある。

この問題についてはかなり部分的に考えることになる。
「勉強ができない」ということのレベルについて考えることが必要になる。
偏差値が60以上になることが必要となるレベルではなく、(もちろん学力偏差値があればあるだけ都合は良くなる)記憶する動作すら放棄することが問題だ。
スポーツができるため毎回の授業を聞いていないことは危うい。
記憶する動作に関しては習慣の形成等も考慮する必要があり、日常の姿勢は侮ることができない。

自己決定によって得意な分野に時間のリソースを利用することは選択として必要だろう。
先のことを考えた場合どれだけトップの選手になったとしても選手を終えたセカンドライフについて考慮する必要がある。
10年に1人か2人の選手にならない限りプロで40代・50代まで継続してプレーすることは難しい。

能力を最大限に利用することを考えるとプレーしていたスポーツやそれに関連することについて指導することが価値の高いサービスの提供になるだろう。
これは通常の仕事についても同じだ。
自分の経験を利用することが転職市場でも給与を下げない方法だということは理解しやすい。
スポーツについて教えることは自分の経験だけで勉強は必要がないと考えるかもしれない。
しかし、指導する場合に自分の感覚を的確に相手に伝える必要がある。
相手が理解できるレベルに情報を加工しそれを提供していき、相手が望む運動を獲得するプロセスを確立することになる。
また、食事や身体、生理学レベルの内容は把握してコンディションの維持などのアドバイスも求めらるケースもある。
個人事業主や経営者になれば、また違ったことを学習する必要があるだろう。

これまでの経験などを利用しないケースについて考えると、自分で学校に通うか企業が教育スパンを含めた雇用を決断し採用になるかのどちらかになる。
学校に行く場合はもちろん、企業の雇用になっても「学習」することになり過去学校で勉強したことや習慣が必要になる。
つまり、学生時代に勉強することは将来の行動形成や使用する知識に繋がっているとも言える。

もちろん、この意見は現状を正論化するための理想という見方もできる。
三角関数や科学の元素記号は学校卒業してから聞いたこともないという人もいるだろう。
それに加えて、学校の広告になるため毎日厳しい練習をしているのだから勉強が部分的におろそかになることもあるかもしれない。
だがどれほど勉強に関するシステムを否定しようが、現状偏差値による評価基準は変化しない上「学習」するという動作は社会人になっても必要になる。

一流のスポーツ選手について考えた場合、自分のコンディションを維持するために勉強している選手が多い。
プレーの向上のために様々なことを勉強している。
栄養士に食事を管理してもらっている選手も食品添加物において科学式から考えているわけではないものの、どんな栄養素を摂取するかについて試合後・試合前からトレーニング前後など毎日の食事について把握している選手も多い。
長くプレーしていく選手ほど自分の体の特性を把握し、それをトレーニングやプレーの向上のために利用している。
感覚的にプレーしている選手でも「学習」を利用することになる。
トッププレイヤーの中には、考えることなく体の反応で対応しているということもある。
しかし、考えることなくプレーをできるようになるまでの同じ練習を繰り返すことには、年齢とともに衰える身体のケアから微妙な変化への対応などを考える必要がある。
試合で考えないようにプレーできる練習設計を自分ですることを考えると勉強はやはり必要だ。

再現性のあるプレーを継続することには「学習」は欠かせないものであり、スポーツ選手は引退した後も結局勉強することは必要になる。
結果ばかりを求めらるスポーツにおいては指導者もスポーツについて理屈や学習などに関与しないケースもある。
脳内における勉強をするしないの判断は個人の自由だとしても、勉強をしなかった場合による選手のリスクは知る権利がある。
リスクヘッジのためにも学習することは必要だ。

以上、スポーツにおける就職のアドバンテージが勉強を諦めることにはならない理由について考えたことでした。