パターン認識と人の行動変化のトレードオフ

私たちは行動の認識に慣れが発生する。
これは順応の類であり、必要な問題に処理能力を使用するために必要な能力だろう。

一度覚えた行動はパターン化し、動作認識を簡略化することで行動の効率化を促進したとも言える。
ある動作を速くしようとすればするほど、行動の確認点を少なくして無意識にアクション出来るようにする。
パターン認識する過程は、脳内に構成されたパターンの内部表現と入力情報とのマッチングとしてみることができる。

行動を自分にとって都合の良い方向に変化させたい場合私たちの認識から変化させることが必要になる。
自分が所持しているイメージもしくはスキーマを変化させ、内部表現を変化させていく。
私たちが一度学習し認識スピードを上げて、無意識化において処理される過程を見直すということになる。

この無意識化した行動フローを変化するには認知的な負荷が発生する。
煩わしい再認識のフローによって確認する必要がある。
振り込めサギ対策などに例がある。
(銀行の振り込みの画面などに1つの確認フローが設けられている。)

私たちは一度覚えた行動を変化させたい場合、行動を変更させる働きかけの努力よりもフローを追加することの方が有効なケースがある。
問題は、努力で変化させようとするには膨大な時間が必要になることにある。
一度学習した動作を変化させるには多くの時間と不快な感情が発生することになりやすい。
なぜ、不快な感情が発生するのだろうか。
自分を改善し、成長していくことは好ましい変化と認知されやすく、望ましいと考えらる。
とするとだ。
では、改善において、私たち自身が好ましく考えていない場合があるということになる。
ここで重要なのが、学習して無意識化した行動を再認識するというフローの発生だ。
そもそも、人は認知的負荷を嫌う傾向にある。
"cognitive mizer"(認知的ケチ)という言葉があるほど、脳は処理機能を簡略化するようにしている。

このことから考えるとイノベーションが望まれる社会構造は幻想とも考えられる。
一度学習した行動の変化には、自分の行動を見直すという作業が発生している。
イノベーションを受け入れるための学習行動そのものが負荷になっているという見方ができる。

個人における行動変化が望まれているという解釈自体が最近のメディアにおけるイメージの形成なのかもしれない。
変化に対応こそすれ自ら好んで変化していくのはオピニオンリーダーなどの少数だったという見解だ。

しかし、これは極端な見方であって他の考えた方もある。
変化は必要だと理解している状態と、変化する行動をすることには大きな溝があるということだ。
理解しているから行動しないということは、多くの健康に関する問題が証明している。
アルコールや大量の脂肪の摂取は健康をに悪いと知りながらもやめれない人が大勢いる。

「変化する」ということについて述べたが、人の行動におけるパターンの認識を変化させることは望みにくい。
それは認知的な負荷がかかるためということだった。
変化して得られる期待値は願望として所持しつつも、変化する動作そのものには負荷が発生している。

パターン認識は情報処理の軽減に役立ちはするものの、行動への変化に負荷を生じるものとなりトレードオフの関係にある。
パターン認識よる動作効率の向上はメリットもあるが、行動の変化へのリスクも発生している。
これもまた、自分の選択における習慣よって形成されるものなのかもしれない。

以上、パターン認識と人の行動変化のトレードオフについて考えたことでした。

PDCAサイクルが0から1を生み出せない場合。

簡単に述べるとPDCAサイクルの前提に関する内容だ。
PDCAサイクルは目的がはっきりしている場合に利用されることが多い。
行動の改善の場合だ。
PDCAサイクルと新しいものを生じる(つまり0から1を生み出す)発想の前提そのものは違っている。

0から1を生み出す場合必要になるのが、アイディアの数になる。
無数の点と点を繋げていくことで形にする。
例えば、バッティングで新しい打法を考える場合の思考について考えてみよう。
バットの位置、形の開き具合、骨盤の位置、スタンスなど複数のカテゴリーがバッティングの構えとして存在している。
ここからモデルとなるイメージを作ることは自身の記憶を利用することが多い。
仮に、バットの位置をバリーボンズ選手で、肩の開き具合をイチロー選手にしたりと言ったように組み合わせていく。
自身の記憶となっているイメージをそれぞれつなぎ合わせていく。
もちろん最初はバッティングフォームもバラバラでちぐはぐかもしれないがそこからPDCAサイクルを使用して修正していく。
課題の抽出方法そのものだけを考えるとブレインストーミング法が近いだろう。
新しい発想のフェーズそのものがPDCAサイクルを利用していないという言い方もできるだろう。
プランニング次第ではPDCAサイクルも新しいものを生み出す部分があるという見方もできる。
そのため、プランニングという言葉の定義によってPCDAサイクルが改善行動のみになる場合があるということになる。
これは人の情報処理の過程について考えることになりそうだ。
計画を立てる場合において個人によって思考フローが異なることは理解できていることだろう。
これについては職務設計などが関連してくる。
通常の職務における課題解決でどのようなプラン二ングをするのかという点が言葉の定義に関連してくる。
問題の解決モデルをどのカテゴリーレベルにまで細分化させるかという点がポイントだろう。
先ほどのバッティングで新しい打法を考えるということについて考えてほしい。
カテゴリーが複数存在し、それによってモデルの形成を変化させていたのが上記の例だった。
その例におけるカテゴリーを少なくして、1995年時点イチロー選手の振り子打法のみを採用するかどうかという点に変化させることもできる。
人の注意できるリソースには限界があると考えると問題解決までの期限がない場合に、新しい打法を考える時、カテゴリーを増やすことは望ましくないだろう。
注意の容量の限界は生体が一度に処理できる情報量に制限があるために生じるという見方がある。
注意のフィルターモデルがそのような考え方に立脚している。
注意の機能的な意味をどのように捉えるかについては現在も様々な角度から検討されており今後も着目したい。

問題解決における思考のパタンをシンプルなもので採用し続けるか複雑なものにするかの違いは習慣になると大きな差になっていることがある。
もちろん、これはどちらが良いかというよりも問題解決に使用できるリソースで使い分けることが望ましいだろう。

PDCAサイクルは、改善するために利用されることが多いのは、その思考モデルそのものが改善フローという前提にあるからかもしれない。
プロダクトの改善を得意する場合、PDCAサイクルにおける思考作業の連続が要求される。
このことが新しい発想とは別の思考フローであるならば、私たち自身が思考を利用するフローの変化が必要なる。
何が述べたいのかというと、0から1を生み出す思考フローと改善の思考フローが異なる場合において、意識する内容を明確化する方が好ましい。
あくまで検証することが必要になるが、考える内容をフロー化することには整理する作業が発生する。
これを意識化しないで、毎回同じ整理作業を行っていると時間が必要になる。
慣れによる作業スピードの向上を望むにしても時間がかかるだろう。
思考フローの意識化は脳内の思考処理速度を習慣化してスピードの向上を目的とする場合有効だ。


これらのことを考えると0~1を生み出す作業そのものには習慣と関連があり、日本人がイノベーションを生み出すことに苦手な要因の1つと見ることもできる。
理由は様々で、学校における学習の機会から文化的な部分から発生する習慣の違いなどが考えられるがこれは今後の研究の進展を待つしかなさそうだ。

PDCAサイクルが新しい発想を生み出さないという位置付けでならば、私たち自身が新しい発想を生み出す思考フローを明確にして利用するだけのことだ。
もし、PDCAサイクルに新しい発想を生み出すことを期待していたのならばプランニングの定義を再構築する必要がありそうだ。

以上、PDCAサイクルが0から1を生み出せない場合について考えたことでした。

自分の動作の理解には限界がある。

最初に述べておくが、限界を理解することと能力のギリギリまで理解する努力をすることは違う役割がある。

簡単な動作も訓練しなければできないことが多い。
例えば直立不動の体制から地面と平行に両腕を上げるという動作はできるだろうか。
私は実際にしてみると、若干腕が上に上がってしまっていた。
簡単な動作でも自分の感覚を重視して行うことで実際にはズレてしまっていることがある。
何度か訓練することで両腕を地面と平行に上げることが可能だ。
これが意味するものは感覚のみのチェックで行う動作は、一定の維持をさせることが難しいということだ。

感覚のみで確認・検証することは過去に結果を出した動作と同じことをしているつもりでも、違う動作になっていることもある。
(スランプの状態に近いケースもある)
だからこそ、動作の検証には自分以外の客観的な部分が必要になる。
客観的になってチェックすることが必要だという話は良く聞く。
これは自分の記憶、思考、解釈、判断などがバイアスの影響を受けているためだ。
もちろん中立の考えを持っていて自分の理解する動作フローが正常に働き、公正な判断ができる人もいるだろう。
それは部分であって全体とは言い難い。

だからこそ動作へのズレは誰でも発生する。
プレーヤーは一度成果を出したフォームを再確認するフローが発生することになる。
これは練習で調整することが必要になる。

この場合使用するチェックリストをどのように定義するかということがポイントだ。
水泳の自由形であれば、腕をかく場合の腕の入水角度や、顔の上げ方や足の動きなど様々な箇所があげられる。
自らで運動の改善できる範囲によってチェックリスト化することが重要だ。

ただし、チェックリストも使用できるのは、チェックリスト作成時の状況を維持できた場合のみ有効だ。
どういうことかというと成長期や加齢による筋力の衰退などによってチェックリストが使用できなくなるケースもある。
これはプラスと考えられる肉体改造の場合にも同様だ。
運動獲得時の動作の筋力の状態は、肉体改造後とは異なる。
当たり前のことを述べているが、筋力の重さが加わった分運動時にかかるコリオリ力が変化する。
筋力の重さが加わった分の調整が必要になるだろう。

自分の状況が変化すればそれだけチェックする部分も変化する。
大幅な肉体改造がうまくいかないケースは体の状態が変化しているにも関わらずチェックポイントが変化しないためと考えられる。

自分の動作の理解については、運動の内容ばかりを気にしがちだ。
しかし、自分の状態についても把握しておく必要がある。
筋力の低下から、疲労の状態に至るまで状況の把握も多岐に渡る。
自らのコンディションが良い場合と悪い場合ではフォームの確認も変化することが前提になっている必要がある。


自分を理解することの限界の把握が、自分を理解することの一歩目なのかもしれない。
ここで疑問になるのが、限界を把握することで成長が鈍化する可能性のことだ。
自分の限界を設定していることが、自分の設定した能力以上のアクションをしないということにつながるからだ。
しかし、どこまでが自分の限界なのかという点を把握していることは挑戦するラインを明確にすることにもなる。
挑戦も無意識化している部分を意識してみると自分の違った側面と向き合えるのかもしれない。

以上、自分の動作における理解の限界について考えたことでした。

スポーツにおける情報収集とその判断材料

検索をすれば、ある程度それらしい情報やコンテンツを見ることができるようになっている。
しかし、学校では情報などを選ぶことについての学習をする機会が少ない。
コンピュータウィルスのことやネット上には間違った情報があり、すべて信じるには危険だということなどが学習内容だ。
そして上位に表示されている内容が的確なのかどうかという点は、初心者には見極めが難しい部分がある。
最近のSEO事情からするとかなり改善はされているものの、まだ検索した情報がすべて信じられるものではない。

そこで考えて欲しいのが、どの情報を判断する基準にするかについてだ。
大きなカテゴリーは以下になる。

1、情報が伝えている内容
2、どこの組織が情報を公開しているか
3、どのような人物が情報を伝えているか
(所持している資格が重要かも考える。)

この3つが大きなポイントになるだろう。
情報が伝えている内容については、自分で判断するには難しいものもある。

体に関する情報については必ず専門の方に確認することが望ましい。
給水するのに、スポーツドリンクはどのようなものが適切かなどはその時のタイミングで自分で判断することが要求されるため、
学校の保険の教諭など、専門の人に確認することが望ましいだろう。

プレーに関しては、自分が理論を把握できるものが好ましい。
というのも練習で実践する時に自分でフィードバックすることが簡単だからだ。
また、理解するのは難しいものの指導者の考えと一貫しているものが好ましい。

どの組織が情報を公開しているかについては、指導者に確認することが望ましい。
コンテンツの内容については指導者の好みがあり、どれを参考にするかも含めて自分で選ぶよりも的確だろう。
公共の組織などは、学校との関係もあり深く伝える情報も精査されていることが多いため選ぶ基準にしてもいいだろう。
公益財団法人などから考えることも重要だが、活動内容から自分で判断する基準を作っておくことが必要になる。

どのような人物が情報を伝えているかについて簡単な判断基準は実績と資格になる。
もちろんその人物のブログなどで、言葉の表現や理解のしやすさに気を使っていることなども判断基準になるだろう。
名プレーヤーが良い指導者でないケースを考えると安易に実績のみを選択の基準にしない方が良いこともある。

ここで重要なのが、言っていることを行うだけではなく、自分が効果の検証をすることに意味がある。
実際に行った練習はどのような効果があるのかという点を理解する必要がある。
例えば、体幹を鍛える運動は10年前後で流行してきたがどのように使われているか理解できるだろうか。
野球であれば体制の維持に役立っている。
バッティングであればスウィングの時に体が崩れると強いスウィングができない。
(強いスウィングとは体の姿勢を維持して、エネルギーをボールにうまく伝えて遠く飛ばすことができるスウィングのこと)
強いスウィングは骨盤や肩甲骨などの位置が決まっていることが多く、
体幹が打てる基本姿勢の維持に役立っていることを示す。
これはあくまで例の1つで個人個人で自分の言葉の概念で定義づけることが必要になるだろう。


少しは参考になれば幸いだが、ネット上の情報は完全ではない。
本やTV、ラジオいろいろなコンテンツがある。
それらで判断する基準を自分で定義していくことが望ましい。

以上、スポーツにおける情報収集とその判断材料について考えたことでした。

スポーツにおける情報収集とその判断材料

検索をすれば、ある程度それらしい情報やコンテンツを見ることができるようになっている。
しかし、学校では情報などを選ぶことについての学習をする機会が少ない。
コンピュータウィルスのことやネット上には間違った情報があり、すべて信じるには危険だということなどが学習内容だ。
そして上位に表示されている内容が的確なのかどうかという点は、初心者には見極めが難しい部分がある。
最近のSEO事情からするとかなり改善はされているものの、まだ検索した情報がすべて信じられるものではない。

そこで考えて欲しいのが、どこの情報を判断する基準の良し悪しにするかについてだ。
大きなカテゴリーは以下になる。

1、情報が伝えている内容
2、どこの組織が情報を公開しているか
3、どのような人物が情報を伝えているか
(所持している資格が重要かも考える。)

この3つが大きなポイントになるだろう。
情報が伝えている内容については、自分で判断するには難しいものもある。

体に関する情報については必ず専門の方に確認することが望ましい。
給水するのに、スポーツドリンクはどのようなものが適切かなどはその時のタイミングで自分で判断することが要求されるため、
学校の保険の教諭など、専門の人に確認することが望ましいだろう。

プレーに関しては、自分が理論を把握できるものが好ましい。
というのも練習で実践する時に自分でフィードバックすることが簡単だからだ。
また、理解するのは難しいものの指導者の考えと一貫しているものが好ましい。

どの組織が情報を公開しているかについては、指導者に確認することが望ましい。
コンテンツの内容については指導者の好みがあり、どれを参考にするかも含めて自分で選ぶよりも的確だろう。
公共の組織などは、学校との関係もあり深く伝える情報も精査されていることが多いため選ぶ基準にしてもいいだろう。
公益財団法人などから考えることも重要だが、活動内容から自分で判断する基準を作っておくことが必要になる。

どのような人物が情報を伝えているかについて簡単な判断基準は実績と資格になる。
もちろんその人物のブログなどで、言葉の表現や理解のしやすさに気を使っていることなども判断基準になるだろう。
名プレーヤーが良い指導者でないケースを考えると安易に実績のみを選択の基準にしない方が良いこともある。

ここで重要なのが、言っていることを行うだけではなく、自分が効果の検証をすることに意味がある。
実際に行った練習はどのような効果があるのかという点を理解する必要がある。
例えば、体感を鍛える運動は10年前後で流行してきたがどのように使われているか理解できるだろうか。
野球であれば体制の維持に役立っている。
バッティングであればスウィングの時に体が崩れると強いスウィングができない。
(強いスウィングとは体の姿勢を維持して、エネルギーをボールにうまく伝えて遠く飛ばすことができるスウィングのこと)
強いスウィングは骨盤や肩甲骨などの位置が決まっていることが多く、
体感が打てる基本姿勢の維持に役立っていることを示す。
これはあくまで例の1つで個人個人で自分の言葉の概念で定義づけることが必要になるだろう。


少しは参考になれば幸いだが、ネット上の情報は完全ではない。
本やTV、ラジオいろいろなコンテンツがある。
それらで判断する基準を自分で定義していくことが望ましい。

以上、スポーツにおける情報収集とその判断材料について考えたことでした。

目的が変化する瞬間

スポーツで練習の目的は試合のためだ。

練習が試合のためでない場合を除き、試合のためにすることが重要だ。
だが、練習の内容を考えずにプレーしてしまうケースがある。

野球で例えるならば、守備で腰を低くして待てという内容だ。
監督やコーチで「腰を低くして待て」
と聞いた場面に出会った人がいるのではないだろうか。

腰を低くする目的は打球を取るために低くするのであって、
動きにくくなるレベルまで腰を低く保つ必要はない。
しかし、実際のプレーする場面でかなり、腰を低くしているプレーヤーもいる。

これは指導者に徹底することを言われているからかもしれない。
だが、ちょうど良い打球を捕球する腰の位置がある。
打球を捕球をするために動く場合、捕球する動きやすい腰の位置があるのだ。

ここまでは述べたことがある。
今回はここからなぜ上記のようなことが起きるのか考えてみた。

仮説としては、以下が考えられる。
・捕球できているので問題ないと指導者が判断した。
・指導者も腰がなるべく低い方が捕球できると信じている。
・指導することが面倒だった。

などが考えらる。
プロの選手を見ても腰を自分が直立した膝の位置まで腰を下げている人はめったに見ない。
守備の名手は、動きやすい腰の高さを把握して構えている。

腰を低くしすぎて待つ選手に関して考えると、打球への反応が遅い場合は改善する必要がある。
そして、腰の位置が低い守備の構えになったのは指導者の説明が足りない場合によるものになる。
守備について動作定義すると以下になる。

=========
打球への反応準備
打球への反応
捕球体勢への移動
捕球
送球への体勢への移動
送球
=========

腰の位置の問題は、最初の打球への反応準備の部分になる。
今回は、打球への反応準備だったにもかかわらず、逆に邪魔になる動きしてしまうケースだった。
これは、練習がどのように試合へ活かされるのかという視点が欠如していることから起きているものだ。

さて、ここまでをまとめてみると要因は指導者と選手の2つに大きく分けることができた。
指導者が練習の意図を説明しきれていない場合、
選手が目的意識の欠如によって腰を低くしすぎていた場合の2つだ。
この2つにより試合のために練習する目的が、いつの間にか練習のための練習になっていた。

また、恐怖を指導に使った場合にも練習で叱られないことを目的にしてしまうことがあるので注意が必要になるだろう。
だが、組織をまとめるにはしかることも必要になる。
指導に恐怖を使用せず、うまく叱るバランスが今後の鍵になるだろう。
それが現場で調整する能力が必要となり、指導者の永久の課題とも呼べる。

目的が変化してしまうことも同様に、何かを定義することで完全に解消できるものではなく、
自己で調整するか、他者からコーチされることで見直すことのできる課題なのだろう。

 

以上、目的が変化する瞬間について考えたことでした。

AIにコーチングされる未来。

と言っても簡単な内容だ。
完全にコミュニケーションで感情を理解できるAIというわけではない。
というのも、コーチングが必要になる部分は自分の気がつけない部分で気付かせてくれるものになる。

人は正しい理論だけでは実行することが少ない。
禁煙やダイエットは、文明が発達してなおうまくいかないのを例として十分だろう。
とすれば正論ばかりを述べるアドバイザーは実は必要ではない可能性がある。

まず、相手のことを理解してラポールの形成が必要だ。
そこからコミュニケーションを通じて人は実行する関係を構築することになる。
しかし、「ロボットに感情が動かされるということは納得いかない」という意見もありそうだ。

だが、考えて欲しいのは小さいころ動かないぬいぐるみに感情を委ねるということをしたことがある人はいるだろう。
ロボットなどのように言葉でコミュニケーションをとれるような状態になれば、人は感情をロボットに委ねるケースが発生する可能性は高い。
いや、現状でも感情をロボットに動かされている人はいるだろう。

ある程度人だと認識できるようなコミュニケーションがとれるシステムが開発できれば、部分的に信頼関係が構築され
人はコーチングを受けることもできる。
ただ、部分的だ。
能動的に自らコーチングを求めた場合に効果が発揮されることになる。

それは本でも同じだという意見もあるだろう。
ただ、理解して実行するフェーズが少ないという利点があることから、本とは別に違う意味のものになる。

 

lineのりんなのようなAIも登場していることから考えると
私たちが求めさえすれば、AIにコーチングされる現実はすぐそこなのかもしれない。